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サン・ミシェル教会  (​Basilique Saint-Michel Archange)。マントン

定年後をどうやって暮らそうか、と思案している方々へ

国境の町
マントン

マントン Menton
 
やってきたのはフランスの東端にある町、マントン 。港の東側に延びる目前の半島は既にイタリアである。
 
ヴュー・ポート・デ・マントン(Vieux Port de Menton) を直訳すれば「マントンの古い港」ということになり、新しくできた マントン・ガラヴァン(Menton Garavan) に対して、こう呼ばれる。「古い港」を出て通りを越えると旧市街が開ける。その入口ともいうべき所は小さい公園になっていて、そこを抜けると広場に出る。賑やかだ。何しろレストランやカフェが広場をぐるりと囲んで、 子供たちが自転車やらスクーターやらに乗って遊んでいるし、大道芸人がやって来たりもする。広場の背後に出ると市場がある。由緒ありげな美しい建物だ。中で売り捌かれる品々もフランスならではの品揃い。各種のハム、チーズ、パテ、テリーヌ。バターも大きな塊を切り売りしてくれる。これが又美味しい。色とりどりの野菜や果物、魚屋、肉屋、ワイン屋もある。もちろんパン屋もある。市場の外では焼肉屋が、と言っても韓国でのような網焼きではなく、オーブンで鶏を丸ごと串焼きにしてジュンジュン音を立てて美味しい匂いを振り撒く、アラブ風のヤツ。
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市場というイメージを改めさせるような美しい建物。
フランスのコーヒーは美味しい。粋なカフェは当然、場末のタバコ屋の片隅にあるコーヒー販売機でも、美味しい。色々買って来て自分で入れてみたが、入れ方のせいか、てんでモノにならない。諦めて、コーヒーは外へ出て飲むことにした。朝ごはんはコーヒーとクロワッサンだが、これを毎朝近くのカフェで注文して、通りを眺めながらパリパリのクロワッサンを頬張りながらコーヒーを飲む。値段は合わせて€2から€3。許せる贅沢。

​連れがやって来た。駅から港までは、町の繁華な部分を通ることになる。駅に迎えに行って、訳知り顔に案内して歩いた。すると彼曰く、「靴屋が多いね」。確かに靴屋が多かった、私は気づかなかったのだが。イタリアが近いせいかナ?でも、もっと何とか言えないものか。「君はすっかり馴染んでるんだね、町の隅々まで知ってるみたいだ」とか何とか。ニースで道に迷ってサンザン文句を言われたので、実は何度か往復して、一生懸命に道順を覚えておいたのだ。私の苦労も知らないで… 。
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マントンの旧市街を背景に停泊するシャコタン。
港に出て船を迎えるプラットフォームの見えるところへ来ると、彼は一頻り立ち止まって眺め回した。実は工事中で、仮設道路や仕切りやらでゴタ付いているのだが、工事完成の暁には、古いプラットホームが緩やかな曲線を左右に延ばして、 長い両翼を優雅に休めたアルバトロスの如くに生まれ変わるはずだった。その下にはプラットホームを支える半円形の枠が幾つも嵌め込まれていて、古代ローマの陸橋を見るようなデザインだった。枠の各々にはどうやら船具店やらカフェやらが入るらしい。その優雅な線を、彼は見ているようだった。港の入り口には砦が残っていて、プラットホームと良く釣り合うだろう。ちなみに砦は現在ジャン・コクトーの絵を集めたギャラリーになっている。市場と背中合わせ、海に面してコクトー美術館もある。こちらの地下には、彼の映画作品にちなんだものが陳列してある。一階は特別展示に当てられていて、ドュフイーの絵や服飾用の布地に描いた図案の数々が並んでいた。彼は女性の服装を最初に芸術的な視点で捉えた人だと説明に書いてあった。マントンはヴィレフランシェと共に、光を求めて南仏にきた画家たちに縁の深い土地なのだ。海岸沿いには、もちろん心地よいプロムナードが延々と続いていた。
 
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ジャン・コクトー美術館
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フランス風:下段は牡蠣や海老、上段は鮪の叩き、蟹が丸ごと加わることもある。
居並ぶレストランのメニューを見て歩いた。どこのメニューも似たり寄ったりだが、伊・仏両国語で書いてあるのが目立った。なるほど国境の町だ。何しろマントンはイタリアであったこともあるのだ。料理の方も入り混じった感じ。フランス海岸では、御馳走といえば牡蠣をはじめ魚介類の盛り合わせが2段重ねになって生で出てきた。それにレモンを絞って食べる。イタリアでもメニューの取って置きは大皿に乗せた魚介類の盛り合わせ。しかしこちらは料理したもの。で、
 マントンでは両方を注文できた。
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イタリア風:車海老は蒸して、海老はバター焼き、魚は揚げてあった。
一番見晴らしが良いレストランは、一番港に近い所にあった。私のボートも見える。港から歩いて来て公園を通り抜けると広場があるのは既に述べた。私の席はその上に張り出していた。特に美味しいというわけではない料理だったに違いない。何を食べたかトンと思い出せないから。が、記憶に刻まれた一事がある。
 
請求書を頼む段になって辺りを見回した時、注文を取りに来たボーイさんが見当たらない。代わりに品の良い老婦人が配膳台の横に座っていた。その人に声をかけると、フランス語も英語もわからないらしい。そこで数年前にサルデーニアに滞在した時に若いウエイトレスが教えてくれた、私が知るたった一つのイタリア語のセンテンスを言ってみた。「イル・コント・ペル・ファボーレ(お勘定してください)」。すると夫人は一瞬考えて(私の発音が悪かったのだろう)、そして思い着いたように「Conto (勘定書)?」と聞き返して来た。私がうなづくと、嬉しそうに微笑んだ。近くの席に座っていたドイツ人の若い一組はがっかりしたに違いない。彼らは席に着くや否や、フランス語で喋る練習をしていたからだ。二人ともフランス語で話すことにワクワクしているようだった。そこで私は気の毒に思ったか?トンデモナイ。私も人がワルイ。何を隠そうコレミヨガシに「グラツェ・セニョーラ」と、請求書を持って来た夫人に言ったものだ。
 
その夫人の夫らしい人が、私が席についた時に居た。その人が私の席に近づいて来ると、ボーイさんが忙しげにやって来てイライラした調子で何やら言って、その人を追い払ってしまった。ボーイさんは英語も話せた。きっと老夫婦の息子に違いない。「言葉が分からないんだから引っ込んでてくれ!」ぐらいのことを言ったのだろう。イタリアだったのに、フランスに組み入れられたおかげで、老夫婦は啞でツンボにされてしまったのだ。
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