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ヴィレフランシェ・シュル・メールの湾
定年後をどうやって暮らそうか、と思案している方々へ

 フレンチ・リビエラ その3
ニース、ヴィルフランシュ・シュル・メール、ボーリュ・シュル・メール​​、モナコ、カンヌ、再び、夏の終わり

ニース (Nice)

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ニースのマリーナ。丘の左肩の窪んだところが散歩道。背後には海岸線が延びている。
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ニース駅。緑の鉄組とガラスを取り合わせた雨よけが洒落ている。
その名は有名を馳せるが、港の規模は大きくはない。古くもある。したがって、目下拡張・新装を図って工事中。そうでなければ、青々と水満ちるこじんまりとしたマリーナを、小高い丘が取り巻いて風光明媚。朝の散歩には極めて適当な1時間コースの道もついているのだが、昨夏は残念ながらクレーンやら仮設道路やらで玉に傷がついた感じ。そこで傷が完治する迄、ここもお預けにした。

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ただし港以外は健在で、街をブラブラするのは悪くない。駅から港と反対方向、即ち北に10分ほど歩くと大きな市場がある。市場の建物から溢れて、路上に店開きをしている人もいる。買い物に来て夕食の材料を見繕った後、途中のレストランで昼食をとったり、コーヒーを飲んだりするなら、レストランやカフェは選り取り見取り。
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ヴィルフランシュ・シュル・メール(Villefranche-sur-Mer)
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丘の上から湾を見下ろす。
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右手に作業場が並び、中央奥にオレンジ色の港の事務所が見える。
Picture町の通り
背後の町だが、16 世紀に要塞が築かれ、その建物は現在では町役場の事務所や展示室になっている。海辺近くの古い町並みは中世の名残を今も伝えて、狭い道や思わぬ所に広場を見つけたりして楽しみ多い。住民も世紀を越えて(!)住み続けている家族が珍しくないそうで、皆顔見知りだというのだから無形文化財並み。何しろ今以て素朴な漁村の雰囲気を漂わせているのが貴重だ、西隣はニースで東にはモナコが控えているというのに。
 
海岸沿いの真ん中に、「由緒ある」ホテルがある。客室には印象派の画家達の名が付いている。彼らが逗留して画業に励んだ所以による。ロンドンから来た友人夫婦2組が、それぞれマティスとドユフィーの部屋を割り当てられてチョットした騒ぎだった。そこで部屋のバルコニーに立って海に向かってみたが、成る程、頷かないわけにはいかない。彼らの絵に描かれた明るい色彩、軽やかなタッチは、この明るさに依るところ大だったわけだ。バルコニーの前には、漁師がその朝揚がった魚を売りに来る。バルコニーの下では人々が三々五々、コーヒーを飲んだり、おしゃべりに花を咲かせたり、ワインを抜いて食事をしたりして、人生は正に自分に微笑みかけていると思えない方がおかしい。陽は燦々と降り注ぎ、目前の海は、こよなく美しく青く輝いているのだ。


この港の歴史は、古代ローマに始まる。何しろ小さな湾なのに、水深が95メートルもあるという自然港で、地中海でも珍しい。したがってシーザーもその便を利用し、20世紀のアメリカ海軍迄その利用は続く。私が訪れた昨年9月にも、その様は明らかで造船・整備のための設備が整っていた。この点で、カンヌ辺りからモナコ手前までのフランス海岸に、雨後の筍のように近年整えられたレジャー・ボート用のマリーナとは一線を画している。
 
違いは実用の隅々に至る。例えば、各バースに停泊用の綱が岸壁に備え付けになっている。つまり、利用者は備え付けの綱を自舟のクリートに引っ掛けるだけで済む。スターンの両綱を岸壁にくくり付けて、その具合を調整して… といった手間は要らない。それは出航時も同じ。掛けた綱を外すだけで済む。時間と手間の節約はもちろん、舟着けの確実さに気を配る必要がないのだ。これは舟の利用者が最も気を使う点なので、有難い配慮だ。さらに必要なら手伝い人も回してくれる。実は女手一つで困るのは、肉体的パワーの欠如。船首を固定するために海底に埋められている備え付けの錨の綱を引き上げて、それがピンと張るまで引っ張るのだが、私の全身を梃子にして引っ張っても思うようにいかない時が少なくない。助っ人を出してあげよう等と言ってくれるのは、何と言っても舟の操作を知っている人ならではの申し出だ。
 

Picture海沿いのレストランよりは安いが、観光客目当てにフッカケているのは同じ。
しかし、しかしだ。友人達が到着する前日に着いてヤレ間に合ったとホッとして、マリーナから海づたいのプロムナードを通ってレストランが立ち並ぶ所を片端から点検して行って驚いた。いえ、タカイのです。ホテルも実はタカくて慌てた。正直言えば、二つ星かせいぜい三ツ星程度の、未だ巨匠とは呼ばれていない画家達が長逗留したホテルなのだから高級ホテルな訳がない。それなのに、彼らの名を借りて四つ星から五つ星の値段をつけているのだ。レストランこれ又然り。
 
こんなレストランで毎日食べたらトンデモナイ。そこで町に入って食材探しに駆けずり回った。ところが見つかったのは小さなスーパーが2軒だけ。肉屋とパン屋はあった。これで何を作ろう、野菜が無いのだ。フランスで野菜が無いなんて、あり得無い。確かに、どの家も裏庭に菜園を作ってはいる。でも私の手持ちの野菜はアンテイーベで買った、とんでもなく高いポルチーニだけ。路地裏で、八百屋の端くれが板を出して物を売っていた。黒ブドウ一房と白い玉ねぎを三つ買った。値段は€8。通常の3倍の値段だ。これではレストランが高いわけだ。いや、レストランが買い占めるから、食材が高くなるのか。いずれにしても、これで住民が暮らしているわけが無い。土曜日には市が立つとオン・ラインに書いていた人がいたが、私は1週間居たが、見なかった。

ところで、この小さな町には観光旅行者を集める所が一つあった。私は知らなかったのだが、友人の一人が調べて来ていた。湾の西側に突き出ているサン・ジャン・カップ・フェラという半島の付け根辺りに、エフルッシ・デ・ロスチャイルドの館があって一般公開されていたのだ。海を見下ろす丘の上の館は、幾つもの美しい庭に飾られていた。確かに宮殿の様な館だった。しかし、もし友人が行くと決めていなかったら、私は行ったろうか? 行かなかったと思う。金に飽かしてフランスの宮殿を真似て作っただけの物に見えたからだ。しかも、丸々1日かけて隅々まで見るなんていうことは絶対しなかった。もしかしたら高台にランチを食べに行く位の事はしたかもしれない、気分転換にはなるだろうから。ついでに庭を少し歩いたかもしれない。しかし、それ位が関の山だ。
 

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海を見下ろす居間。
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数ある庭の一つ
友人たちが去って、又一人になった。海辺近くの町並みに沿って何となく歩いて行くと、半開きのドアが目に入った。「お入りください」と言う事なのか「ご遠慮ください」と言う事なのか、ちょっと判断がつかなかった。もう忙しい予定は無い。入ってみよう。入っていけないのなら、出て来ればいい。そおーとドアを押して入ってみると、そこは小さな教会だった。(ああ、ミサか。だから信者だけお入りくださいって事か)と思ったが、時は水曜日の昼下がり。ミサがありそうな時間ではない。ところで内装が、ちょっと変わっていた。何しろ暗くない。でも明るいというわけでもなくて、言わば「ほの明るい」といったところか。何故かというと、会堂の天井と全ての壁が、白と水色と多少の中間色で描いた壁画で覆われていたからだ。線はくっきりと黒で引かれていた。実際の効果に沿って表現するなら、白地に線で形を描き、水色を所々置いた、といった感じだ。だから全体が白い。「明るい」に「ほの」を付けたのは、ほとんど単色といっても良いような絵なので、現実感が無く、まるで天国を覗いているような感じだったからだ。しかし描かれている対象は魚を売る娘だったり、海を見つめる漁師だったり、それに貝や魚網が並んでいて、漁村の風景ないしは漁師の暮らしだ。線が明瞭なので、霊を描いたという印象は受けない。しかし天使もいる。全体に明るい印象。やっぱり天国かな?
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コクトーの壁画の一部
「ご覧になりますか?3ユーロです」と声がした。天国に入る入場料ではない。壁画や展示を見る代金だ。「綺麗な絵ですね、明るいし。教会には珍しい」。 絵はジャン・コクトーが5年がかりで描いたものだとその人に教えられた。
 
 
https://en.wikipedia.org/wiki/Villefranche-sur-Mer
http://www.rivieraexperience.com/about_villefranche.html
http://www.beyond.fr/villages/villefranche.html
http://wikitravel.org/en/Villefranche-sur-Mer
http://www.villa-ephrussi.com
Picture
コクトーの壁画で飾られたサン・ピエール礼拝堂

ボーリュ・シュル・メール(Beaulieu-sur-Mer)

Pictureボーリュのマリーナ
編集するにはここをクリックします。

今夏の終点ボーリュに辿り着いて、回想は終了。40年前にマリーナの装いを成した、ここは雨後の筍の一つ。が、フレンチ・リビエラの名を盾にとって高額を取るわけではない。いえ、実は南仏海岸で一番停泊料が安い。もちろん隣の古き気高きヴィルフランシュとは一見して異なる今風。豪華船とは言わないまでも、億の単位に届くかと思えるボートがズラリと並ぶ。イギリスの舟が多いのは、イギリス人が如何に値段に聡いかを実証している好例。皮肉ではありません。イギリス人の一人が自らそう言って笑ったのです。あるからといって、値段も見ずに金をばら撒くのは成金のする事… とまでは言わなかったが、その類をバカと見做しているのは確かだ。ともあれ、ここには全てが整っているのに何故安いのだろう。不審に思ってアラを探してみた。
 
先ず、バースもポントウーンも整っていて、電気も水も備わっている。これだけあれば、私などは当面不足は無いのだ。 その上燃料もあるから、欠乏状態の時には安心して飛び込める。とは言え、海では燃料はどこの港にも備えてある。無いのは運河の方だが、運河では4ノットが制限時速なので、燃料は長持ちするからだろう。 排水処理の業者も呼べる。わざわざ海に捨てに行かなくてもいいわけだ。ボートの持ち主が車を乗り入れられるように通路が広く取ってある。だからボートへの物の出し入れが楽だ。アウトボード・エンジンやらディンギーやら、ボートに備えるものには重かったり大きかったりする物が少なくない。食料や水だって、手で運ぶには重い。もっとも大概のマリーナには、運搬用に小型のトロリーが用意してあるのだが。洗濯機も乾燥機もある。警備人も常駐している。だからと言って、夕方散歩にやってくる土地の人を締め出すわけではない。念のための用意だ。停泊船の巡回も怠らない。それに強風注意報でも出れば、カピテナリーのスタッフが手分けをして各ボートの綱を補強して回る。
 
マリーナの周囲には、ボートに必要な各種の品を売る店が並ぶ。マリーナ内の通りは、花やベンチで飾ってある。街灯もある。マリーナの西側は立派なシップ・ヤードになっている。で、東側はちょっとスタイリッシュな海水浴場で、レストラン付き。サンデッキも有り。ジェット・スキー他の水上スポーツも可。言わずもがなに、レストランはマリーナに向かって10軒ズラリと並んで選り取り見どり。何が欠けているだろう。何も欠けていない。終い十二分に、キャピタンはキリリと締まったイイ男。それに英語で交渉が出来る有難い存在。プリント・アウトも、頼めば便宜を図ってくれる。流しが詰まって難儀をした時も、手助けをしてくれた親切気もある人。ただ回が重なると釘を打たれる。が、これは不服ではありません。野菜の供給も、ここでは出来る。町には大きなスーパーがあるので、近隣の住人が買い物に来る。ヴィルフランシュの住人も。広場には毎朝市が立つ。町には洒落た店がある。安売りの店も。掛け値なしの四つ星・五つ星ホテルもある。二つ星だが不都合のないホテルもある。さらに、ニースへは電車で15分。モナコへは12分。これではケチの付けようが無い。こういうのを「穴場」と呼ぶのだろう。
 
拾い物もあった。暇なので、町の観光案内のパンフレットを広げてみた。必要な物は何でも揃っている町だが、それ以上ではないと早合点していたが、文化的な物が一つあった。だが正直な話、パンフレットを読んだ時は随分物好きな学者が居たものだと思った。
Pictureヴィラの入り口
古代ギリシャの研究を専門とするその人が情熱を傾けたのは、古代ギリシャのヴィラを復元することだった。ヴィラは海に面して立っていた。その地点から見た海がギリシャの海を思わせたからこの土地を選んだ、と説明に書いてあった。その土地に、古代ギリシャのヴィラを微に入り細に入って復元したのである。学者が 微に入り細に入ってやったことだから、しかも彼は所持金に不自由は無かったので、その復元の克明さは凡人の想像を超える。建物ばかりではない。調度の全てに至ってまで、凝りに凝って復元したのである。私などはキャビネットの一つの前に立って、その秀逸さに唖然としてしまった。その上、果たして2500年前にこれだけ精巧な工芸品を作る技術があったのだろうか、と疑う始末だった。疑う方が間違っている。古代の物の方が精巧である場合は少なくないからだ。 古代中国には、気が遠くなるような精巧な物がゴロゴロあるではないか。昔の人の方が、忍耐力があったのかもしれない。現代人はやる事があり過ぎて、さらに多額の金が日々必要なので、一つのキャビネットを作るのに1年もかけてはいられない。しかし、そんな打算は一切顧みずに復元に打ち込んだ結果は、凡才を圧倒する。ひょっとしたら天才をも圧倒するのかもしれない。夫人の浴槽に取り付けた水道の蛇口まで白鳥の首に模ってあったから、見ているだけの私の方が草臥れてしまった。あんな蛇口一つを作るのにどの位の月日と努力が必要だったのだろうか、と考えて。が、又々私は間違えていた。彼は、古代の物を古代の技術で復元したのではなかった。彼は古代の逸品を、現代の技術で復元したのである。それだけではない。暖房設備も温水装置も備え、否、現代の技術の全てを取り入れて古代のヴィラを復元したのである。さぞかし居心地の良い古代のヴィラになっただろう… 。が、例えば家族の居間にあった椅子は、昼寝をするには良さそうだが、座るにはデッキ・チェアに座る様な不都合を感じはすまいかと思えた。少なくとも私なら、腰掛けるための椅子も置きたい。

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コートヤード
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調度品の一つ
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浴槽があった。ここは脱衣場?
しかし床のモザイクを見た時は、感嘆した。何処の遺跡を訪れても、床のモザイクが無傷のままに保存されていることは無い。人々に踏まれ、摩滅し、傷つき、色は残っていることの方が少ない。それが見事に復元されて床を飾っていた。ああ、こういう物だったのか、と私にも飲み込めた。華麗なものだ。ディオニソスの逸話を描いたのがあった。悪心を抱いた船乗り達をディオニソスはイルカに変えてしまった。ディオニソスが円の中心に、一人で存分に帆船を操っている。その姿には、力学的な美が備わっている。「弓を射るヘラクレス」の、あの姿だ。それを何頭かのイルカが取り巻いている図案だ。視覚的に華麗なだけではない。古代ギリシャ人が、神話と共に日々を暮らして居た事を示している。現代の見方で言えば、詩と共に暮らして居たと言うべきか。少しばかりゾクゾクするではないか。古代への情熱が私にも乗り移るような気がした。
 
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メインマストの位置には、葡萄の木が生えている。木が繁茂しているので、重心が上方に行くが、お陰で下方が空いてしまう構図。空白は何を示唆しているか?海だ。
夢から覚めるような思いで外に出ると、嫋やかな海の響きと潮の香りが漂っていた。ああ、彼はこのように暮らしたかったのか。ちなみにヴェレフランシエのロスチャイルドの館は、このヴィラに刺激されて建てた物なのだそうだ。
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館の庭先に広がる地中海。

モナコ(Monaco)
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遣り過ごした港が三つある。マルセーユとカンヌとニース。そして岬の向こうのモナコにも立ち寄る予定は無い。停泊料は知らないが、安いわけは無い。だが陸路で行くなら破産することもなかろう。
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そこでモナコを目指した、リュックに水2本とサンドイッチのお弁当を入れて。電車で行けば、次の駅だから代金は¥226。瞬く間に着いて降りる段になった。降りた途端にホームを歩く代金を請求された?そういう事はなかった。ビザを買わされることも、パスポートを提示するように要求されることもなかった。で、何処をどう行ったら外へ出られるのか分からないから、人の波について行った。皆んなエスカレーターで登っていく。私も準じた。確か三つエスカレーターを登ったと記臆する。すると皆んな出てチリジリになって消えてしまった。地図で見る限り、駅から港への車道は大きい「つ」の字型をして迂回していた。歩いて40分かかると踏んできた。 「さーて、今日は良い運動をしよう」と勇んで歩き出した。「おや、階段があるぞ。歩行者用の近道だ」。当然近道をとって降りると、又階段がある。又近道をとって降りて行くと、又々階段があった。かくして10分程で小さい方の港に着いてしまった。リュックを背負って、運動靴を履いてやって来たというのに。でも、歩行者に便宜を測った配慮を感じた。それに車道に歩行者がウロウロしないから、車を運転する方にとっても安心だ。なかなか心憎い。 
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で、辺りを見ると、急な斜面に段々畑の様にテラスを造って、レストランやらカフェやらビストロやらが都合よく収まって、何処に座っても港が眺められる様になっていた。昼食時なので、皆グラスやカップやお皿を前にして、喋ったり、頬ばったり、突っついたりしている。楽しそうだな… 。でも私には、お喋りをする連れはない。第一モナコで昼食なんか食べたら、幾らの伝票がやって来るやら。格好の場所にベンチがあった。手持ちのサンドイッチを食べている人もアチコチに居る。私も仲間入りした。
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歩行者用の近道
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限られた土地を工夫して使っている。
​次は何処へ行こう。目前の丘に登れるらしい坂があった。えらく広い坂だ。重要な坂に違いない。登ってみよう。上り詰めて見ると、そこは見晴台になっていて、かの有名なモナコの港が眼下にあった。あっ、何と華麗な!しばし眺めて、そして思案した。港としては、モナコも余り大きくはない。湾の中に何隻か大きな船が碇泊しているが、グランデ・モッテやアンテイーベの様な収容規模が港の中にあるわけではない。古き良き自然港は、現在の需要に合う様な規模にするには、地形故に限定があるということか。
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王宮の広場から港を見下ろす。
ともあれ、湾を利用した港はニースも、ヴィルフランシュも、ボーリュも、そしてモナコも皆同じだ。しかしモナコは、何故に「華麗 」だと人に感じさせるのか。例えて言えば、同じ画架に同じ20号のカンヴァスを載せ、湾を手前に描き、背後に小高い丘が湾を囲む形に描いた。ここ迄は何処も同じだ。これにヴィルフランシュでは造船・修理のための建物を麓に並べた。一見倉庫が並んでいる様に見える。しかし壁は薄目のオレンジ色、屋根は濃い目のオレンジで、窓枠は白に彩色され、野暮ったくはない。その真ん中には、修理すべき船が乗り入れられる様に、長さ30メートルのロックを置いた。クレーンも置いた。機材も。ボーリュでは、白一色で統一した均一の建物を並べ、ファショナブルなマリーナ用品専門店とレストランを入店させた 。全て平屋建て。背後の町の視界を海から遮らないためだ。その真ん中にカピテナリーを置いて、監視塔が1階分高く聳えている。これは単調さを破るポイントにもなる。ニースには、周囲の丘に散歩道を付けた。海水浴場に沿ったプロムナードを歩いた後は、丘に登ってマリーナが見下ろせる地点まで散歩の足を延ばせるという趣向だ。それぞれ船舶収容、レジャー・ボート用、避暑地と役割に応じた配置だ。

ではモナコでは、世界の金持ちを満足させる役割を念頭に配置してあるのか?建物は丘の中腹辺りから始まっている。 いずれも飾り窓や、瀟洒なバルコニーが付いているヴィラだろうか?そうかもしれないが、そういう建物があるとしても、港全体を視界に入れる地点に立つと詳細は見えない。見えるのは、横長のコンクリートの建物が主体を成して並んでいる様だけだ。そこに縦長の建物が幾つか建っていて、バランス良く変化を生む結果になっているのは偶然か。ともあれ、ぎっしりと建物が並んで三重の層の中間の層を成している。一番上の層は半島も含めた丘が、緩やかに線を伸ばす。一番下の層は港である。港に沿って並ぶ建物やガジーボのすべてが白で統一されているので、白線を引いたように青い水との境を際立たせる。停泊する大小の舟も白。暫くこの配置を眺めていて、まるで古代ローマのアンフィシアターのようだと気付いた。もしそうなら、町が観客席で、舞台は当然港ということになる。つまりモナコ全体の造りが、港に視線を集めるようになっているのである。舞台の上には、もちろん世界に名だたる豪華船が美しい紺碧の海に、その内部の豪華さを十二分に想像させる姿で浮かんでいる。その背後の建物が少々平凡な長方形であろうが、丘の緑が些か禿チョロケていようが気にならないのは、視線を港に惹きつけられてしまうからだ。視線の先に見える豪華さの主役は他国の舟、即ち他人の持ち物だという点が賢い。一番金がかかって、必需品でもない物は他国民に支払わせていることになるからだ。​
モナコの王室はその初めから、ドン・パチ一点張りの軍人ではなかった。戦も上手いが、策を練るのにも長けていた。建国の父ともいうべき将軍は、女に変装して僅かの手勢を連れただけで城内に侵入し、イタリア人を追い散らしたというのが建国の楚として伝えられている。さらに未だ18世紀の大航海時代にあって、小国が生き延びる術は、地中海に贅を尽くしたカジノ王国を作ることだと見定めた。資金作りには、国土の3分の1をフランスに売却して得た。その結果がモンテカルロの建設である。超豪華なホテルを建てて、これ又超豪華なカジノで遊べるようにし、船で訪れられる設備も作った。ホテルにしろ、カジノにしろ、停泊するにしろ、いずれも金を落とす事は必定。それも、生半可な額ではない。かくして世界の金持ちが金を落としていく。が、その金を王室が独り占めにするのではなく、その金を国費にして国民から税を取らない方針にしたのだから名君だ。加えて権威を得るために、王子の称号も取り付けて王室の部類に入ったのも、先見の明があったと言えよう。さもなければ、近隣の王国に従えられる羽目になったかもしれない。

​ところで、モナコへ行くなら海洋博物館に是非立ち寄る事をお勧めする。水族館が充実しているのです。収容されている殆どの生物が本博物館で生まれ育っているそうで、孵化技術を始め、専門家にも良い参考になろうかと察する。
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海洋博物館の玄関
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カンヌ(Canne)

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カンヌのマリーナ。白い催し物会場が左手に見える。
ボーリュから電車でカンヌ迄は30分、金額は¥452。映画祭で有名な催し物会場では、年中色々な催しがある。私が訪れた日も何やら催されていて、名札を首に下げた人たちが、ランチを食べに会場から出て来たところに行き合わせた。駅から港に向かってファッショナブルな店が並ぶ通りを歩いて来ると、海辺にデンと構えて、実物の100倍位の大きさの俳優達の姿が近作の紹介のために貼り出されているから直ぐに分かる。
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​カンヌの港の停泊料は、世界で最も高い十指に入ると先述した。見惚れるような船がズラリと並ぶ。今日は手弁当を下げて来なかった。そこで港の周りに並ぶレストランで、私もランチを食べる事にした。滅多にしない贅沢だ。が、メニューを見て歩くと、2コースで¥3,400というのが並んでいる。高くない。貝類の前菜に、主菜は家鴨を注文した。これが飛び切り美味しかった。あんまり美味しかったからチップを弾んだら、ボーイさんがビックリしていた。直ぐに嬉しがるというのも困ったものだ。お陰でロンドン並みの高さになってしまった。
 
海を眺めながら、美しい船を前に、暖かい10月の陽だまりに座って、美味しい料理に舌鼓を打つ… 何という幸い。それにしても、ヴィルフランシュのレストランは何故4割方も高いのだろう。
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鴨の昼食
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催し物会場(Palais de Festival)を向こうに見る。

再び、夏の終わり

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ボーリュの町並み
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ボーリュのショーウインドウ
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シャコタン: Regal 2665 Commodore
​10月に入って、朝夕は上着が必要になった。ボーリュのマリーナに軒を連ねるレストランは、張り出し店舗を片付けて屋内の席だけに縮小してしまった。マリーナの停泊料も半額になった。夏は終わったらしい。
 
ここに着いて既に3週間になるが、至って静かな町だ。町中の通りも、市場の立つ広場も、レストランが立ち並ぶ場所にも、いわゆる町の騒音というものが無い。カフェに座っている人達も、ゆったりと静かに語っている様だ。
 
私も今夏の終着点と定めていたここに来て、緊張がほぐれた。そうして目に付いたのがボートの名前だ。ボートには名前を付けて、その名前を船体に書かなければならない。車のナンバー・プレートに該当する。各国のボートが停泊しているので、読んでも意味の分からない名前は沢山あるし、欧米語では、船は女性名詞なので女名を付けているだけのものも多い。しかし随分頭を捻って付けたのだろうと思われる名前は少なくない。あるいは、持ち主の思い入れがブチ込まれているような名がある。例えば「ブルー・ドルフィン」。私のボートから二つボートを置いた先に停泊している。日本語にすれば「青いイルカ」ということになって、英語の響き程平凡ではないかもしれないが、まあ平均的。しかしご本人は大いにカッコイイ!と思っているに違いないのは分かっている。彼はイギリス人で、同じ町に住んでいるのだ。(ヤレヤレ世間は狭い!)「フローティング・ベアー」というのもある。持ち主はロシア人だろうか?と思いきや、Guernsey と出身地が書いてあるので、イギリス海峡諸島から来た、これもイギリス人ということになる。じゃあ、何で「熊」なんだろう。図体が大きいのに泳ぎの名手なのはカバだってそうだ。「浮遊するクマ」と「浮遊するカバ」では、どっちの方がフルっているだろう? 私なら「フローティング・ピッポー」と名付けて皆さんの笑いをより多く招く方をとるだろう。何しろ昨今の世界情勢では、青ざめる事実は数々あるが、笑えて且つ罪のない冗談を言える状況は日々先細っているからだ。
 
「ドリーム」等と、デカデカと、しかもステンレス製の文字を作らせてクッツケているのもある。私の感覚に照らすと、恥ずかしい程イマジネーションを欠いているのに。でも、まあ、「夢」なんだろう。一生に一度、こういう青臭い言葉を大威張りで使ってみたかったのかもしれない。「One ∞」というのもある。これはフルっている方だろう。記号を使った名前は、一寸無い。知能的でもある。悦に入っている持ち主の顔が浮かぶようだ。私の向かいに停泊しているのは「So What」という名だ。日本語にすると「それで、なんだってンだ」というところだろう。海での連絡はVHF で遣り取りする。VHF の作法は世界共通で、聞き取り易いように形式が決まっている。先ず相手方の名を三度呼び、自分のボートの名を三度名乗る。即ち「ポート・ボーリュ・シュル・メール」を繰り返した後「こちら、それで、なんだってンだ、それで、なんだってンだ、それで、なんだってンだ、どうぞ!」と言うわけだ。これで吹き出さない人が在るだろうか。持ち主の顔が見たいのだが、まだ現れない。
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嵐のあった翌日、ボートを案じて訪れた持ち主。私がボートの名前を指差すと、彼はケタケタ笑った。大らかで茶目けのある表情が、この写真では見えないのが残念。
とりわけ気に入った名前があった。「プレイ・タイム」というのだ。「遊び時間」というわけだ。イキだろうか。キザだろうか。どんなに忙しくても、自分を遊ばせる時間をもとうとしている姿が浮かぶのだが。大きなボートだから、家族や友人も遊ばせてくれそうだ。え、私のボートの名前? …「シャコタン」。北海道の積丹半島に借りた名だ。父が生前、暇を見つけては釣りに出掛けていた地で、「死んだら遺灰は積丹の海に投げてくれ」と言っていた。もっともエーゲ海を見た後は、「エーゲ海に投げてくれ」に変わったのだが。三人の娘の内、父の釣りに従いて行ったのは私だけだった。釣竿を握り、釣り糸を垂れ、海を前にして何時間でも立っていた父の後ろ姿の背景に、日本海を見ていて私は飽きなかった。(2016.10.20 記)
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