ポルト・テウーリステイコ・デイ・ローマ(Porto Turistico di Roma)
定年後をどうやって暮らそうか、と思案している方々へ
ローマへ
海図を見る。コルシカからイタリア本土へ渡る最短距離は、タベルナまで戻って、タベルナからイタリアのモンテ・アルジェンタリオへ行くルートだ。その中間点にはモンテクリースト島がある。ランチ・タイムをとるには格好の位置だ。ネットでモンテクリーストを見る。デユマの小説の影響が無いとは言えない。しかし、見るからに他を寄せ付けない印象は拭えない。ランチを食べる所など無いかもしれない。ジリオ島はどうか。しかしジリオに寄るなら、距離からして、いっそモンテ・アルジェンタリオに行ってしまった方が良い。結論は、遠回りだが、エルバの南側に沿ってアツズーロ(Porto Azzurro)で休憩し、モンテ・アルジェンタリオに向かうのが良策に思えた。アッズーロというのはイタリア語で淡青色のこと。翻訳によっては「heavenly blue (天国のような青)」を意味するので、良い所かもしれない。
結果としては、ポルト・アッズーロが「天国」なら、「天国」は急いで行くような所ではない。ランチもロクに食べられない所だった。レストランは、たった一軒イヤイヤ開けていますといった感じの所で、冷えたピザパンが出て来た。早々に去った。こんな事なら、ピクニックを用意して、モンテクリーストに行けば良かった。しかし、それは冒険になったろう。冒険がシンドイ年齢になっているのだろうか。そういう傾向はあるかも知れない。
結果としては、ポルト・アッズーロが「天国」なら、「天国」は急いで行くような所ではない。ランチもロクに食べられない所だった。レストランは、たった一軒イヤイヤ開けていますといった感じの所で、冷えたピザパンが出て来た。早々に去った。こんな事なら、ピクニックを用意して、モンテクリーストに行けば良かった。しかし、それは冒険になったろう。冒険がシンドイ年齢になっているのだろうか。そういう傾向はあるかも知れない。
モンテ・アルジェンタリオ Monte Argentario
海は青さを失って鉛色になっている。しかし風が出ている訳ではない。イタリア本土が見えている。モンテ・アルジェンタリオの北側に回った湾の奥に、今夜の停泊地サント・ステファノがあるはず。真っ直ぐ行けばいい。ところが連れがムスッとしている。そして喚きだした。しかし何を言っているのか分からない。喚き散らす言葉を拾ってみると、どうやら方角が違うと言っているらしい。しかし私の目には、予定通りの方角へ向かっていて、町らしき凹凸が見えている。海図で確かめる。正に視界にある凹凸が、サント・ステファノであると確認する。じゃあ、何が問題なのか。彼の理解では、今夜の寄港地は湾の左側にあるはずなのに、私達は右側に向かっているということらしい。彼が、どうしてそういう理解を得ていたのかは、私は読心術を心得ないので分からないが、端的に言えば、彼が思い違いをしていたということだ。GPSには、私が言った通りにインプットしていたにも拘わらず。謝った?いえ、とんでもない。「ウィー・キャン・ゴー・デイス・ウエイ・トウ」と、ヌカした。
港の前に並んだ魚屋が、写真の左手に見える。魚屋(Pesceria)と書いたヴァンも停まっている。
サント・ステファノ Santo Stefano
港の前には、魚市のカウンターがズラリと並んでいた。陸揚げされた魚が、そこに放り出されて売り捌かれる訳だ。私は何もかも忘れて嬉しくなる。翌朝町へ出ると、魚市ばかりか、一本道を入ると青物市も、道に溢れんばかりに並んでいる。買い物袋を一杯にして、さて、調味料は?道の向かい側に、デリケテッスンがあった。… ?ある訳ない。が、試しに入ってみた。各種のハムやチーズが、当然並んでいた。が、私が今欲しいのは調味料。醤油とか、味醂とか、そういった類。「ありますよ、そこに並んでるでしょ」と、にこやかに主人。あった、キッコーマン。「ワサビもありますよ」。え、本当?あった、ワサビのチューブが山のように積んである。「ドウ・ユー・ハブ・サケ?」と、奥の方で連れの声。「オフ・コース」と主人。小さな瓶を手に、連れが私の前に立った。酒ではなく味醂だった。彼には落胆だったろうが、私にはこの上ない見つけ物だった。何しろ味醂は, フランスでもシチリアでも見付けられなかったのだから。
港の西端まで歩く。端の方にはレストランが並んでいた。私達も席をとる。ウエイトレスは何人もいるが、英語が分かるのは一人だけであるらしい。習いたてのイタリア語を試すチャンス。連れがウエイトレスの一人に合図した。彼女が来ると、連れはフランス語をイタリア語風に発音して喋り始めた。無茶な!案の定、彼女には分からない。そこで私、「スクージ。ペル・プリモ、ヴォレイ ... 」と始めて無事注文完了。ケケケ、ざまあ御覧!連れは情けなそうに私を見る。私は知らん顔。彼は指でメニューのアチコチを指して注文。「*ペル・ファボーレ」って付け加えるべきよ、と私が言うと、ウエイトレスが「クスリっ」と笑った。フランスにいる間、ちっとも助けてくれなかったのは誰よ!
港の前には、魚市のカウンターがズラリと並んでいた。陸揚げされた魚が、そこに放り出されて売り捌かれる訳だ。私は何もかも忘れて嬉しくなる。翌朝町へ出ると、魚市ばかりか、一本道を入ると青物市も、道に溢れんばかりに並んでいる。買い物袋を一杯にして、さて、調味料は?道の向かい側に、デリケテッスンがあった。… ?ある訳ない。が、試しに入ってみた。各種のハムやチーズが、当然並んでいた。が、私が今欲しいのは調味料。醤油とか、味醂とか、そういった類。「ありますよ、そこに並んでるでしょ」と、にこやかに主人。あった、キッコーマン。「ワサビもありますよ」。え、本当?あった、ワサビのチューブが山のように積んである。「ドウ・ユー・ハブ・サケ?」と、奥の方で連れの声。「オフ・コース」と主人。小さな瓶を手に、連れが私の前に立った。酒ではなく味醂だった。彼には落胆だったろうが、私にはこの上ない見つけ物だった。何しろ味醂は, フランスでもシチリアでも見付けられなかったのだから。
港の西端まで歩く。端の方にはレストランが並んでいた。私達も席をとる。ウエイトレスは何人もいるが、英語が分かるのは一人だけであるらしい。習いたてのイタリア語を試すチャンス。連れがウエイトレスの一人に合図した。彼女が来ると、連れはフランス語をイタリア語風に発音して喋り始めた。無茶な!案の定、彼女には分からない。そこで私、「スクージ。ペル・プリモ、ヴォレイ ... 」と始めて無事注文完了。ケケケ、ざまあ御覧!連れは情けなそうに私を見る。私は知らん顔。彼は指でメニューのアチコチを指して注文。「*ペル・ファボーレ」って付け加えるべきよ、と私が言うと、ウエイトレスが「クスリっ」と笑った。フランスにいる間、ちっとも助けてくれなかったのは誰よ!
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サント・ステファノの港には、立派な砦がある。地理的には、ジェノア、フランス、スペインが、コルシカとサルデーニアを取り囲むようにして位置するが、一体誰が、誰に対して築いた砦か。ジェノアがスペインに対して築いた砦か。実は築いたのはスペイン、16世紀半ばの事だ。誰に対して?海賊に対して。日本では戦国時代が押し詰まって行く時期。下克上という法無き時代が刻々と一つの権力に絞られて行く時代だった。その同じ時期、地中海では横行する海賊を取り締まる手段に出た。エルバ島からなら、ピオンビーノまでスピード・ボートでも2時間はかかる。しかしモンテ・アルジェンタリオからは砂州で本土とは陸続きだ。こんな所へ海賊に出没されてはかなわない。砦を訪れた時、何でスペインの砦なんだろう、と不審に思った事だった。海賊は、誰にとっても頭痛のタネだったろう。現在は、海の清掃運動を支持する、イタリアでは珍しい港だ。
*per favore:英語のpleaseに該当する。 https://en.wikipedia.org/wiki/Porto_Santo_Stefano |
ポルト・エルコーレ(Porto Ercole)はサント・ステファノの反対側にある。つまり、モンテ・アルジェンタリオの南側、砂州の手前に位置する。小さい港ではないのだが、サント・ステファノ同様、古い造りの港だ。運営する人も古いタイプなのか、ランチ・タイムで誰も出て来ない。呼べど、叫べど、音沙汰なし。仕方が無いので隣へ行く。カーラ・ガレーラ。こちらは打って変わって今風の造り。整然とポントウーンが並んでいて、各ポントウーンにはゲートが付いていて、ポントウーンを繋ぐ長いプロムナードがあって、その沿道にボートに必要な全ての店が並んでいる。ヤレヤレ、手前のカフェのソファに深々と腰を下ろして、冷たいモヒートのグラスを傾ける。氷の音が耳元で鳴る。
何となく疲れを感じた。本土に戻って来たという安堵感かもしれない。次はローマを目指すのみ。「ここで一日休憩しない?明後日ローマに向かえばいいじゃない」と、私。「オーケー」と、連れ。翌朝寝坊をして、港の様を眺めながらノンビリ朝食を食べて、ボートに戻って来て天気予報のサイトを開く。ギョツ!嵐が来る!今日迄は、実に穏やかな天気が続いていた。しかし明日からは雨を伴う嵐。少なくとも向こう2日間は足止め。「ウイー・ウオント・ハブ・タイム・トウ・ゴー・トウー・アマルフィ!」と、連れが言う。彼は5日後にはイギリスに帰るのだ。私は居続けるのだから「ウイー」ではなくて「アイ」だろうにと、その時は思った。
天気を変えることは人の技ではない。諦めて、ここに居るしかない。そうなると、新しいマリーナは便利だが、それ以上ではない。どうやったら、2日間という時間が潰せるか。先ずは、ボートに必要な物を取り揃えよう。フランスのパァラバス(Palavas-les-Flots)で¥9,000 近くを出して買った双眼鏡は、焦点が合わないどころか、バラバラになってしまっていて、イライラさせられるために持っているようなものだ。買い換えよう。掃除用ブラシも、スーパーの家庭用品売り場で買ったのは、曲線になっている船体部を洗うには不向きだ。替えよう。ヴィアレッジオで、ラインが一本ブッツリ切れていたのを見付けた時は、冷や汗をかいた。命綱が切れたようなものだった。予備を買っておこう。連れがGPSのソフトウエアを変えたほうが良いと言う。私のは単純過ぎて、何も映し出さないと言うのだ。フーン。
店に入ると、色々なものがあった。ブラシには洗剤を入れるボトルが付いていて、ホースも付けられる仕掛けになっている。つまり、洗剤と水が適宜に出て来て、ボートの洗浄に便利だという訳だ。値段は¥5,000。バカバカしい、¥250の家庭用品で良い事にした。ラインを選んで、10mのを2本作って欲しいが幾らかと尋ねたら、¥12,000だと言う。イギリスでは¥2,500相当で買えるものだ。バカバカしい、イギリスで買って来よう。双眼鏡は自動的に焦点が絞れるようになっているのがあった。急ぎの時は便利だ。特に一人の時は、ハンドルを握っていて手が離せない時もある。¥10,000也。買う事にした。ソフトウエアは、係の者がまだ出勤して来ないから相談に乗れないそうだ。店先に並ぶ品も、国柄が出る。そういう意味では、イギリスで製造された物は実利的に出来ているので、信頼が置ける。1年や2年で壊れてしまったりもしない。ところで隣の店に、素敵なスクーターがあった。もちろん電動。新品同様だが中古なので3分の1の価格。¥60,000也。港の中を私はテクテク歩くが、賢い人はスクーターに乗る。あれば良いナア、でも高いナア。「アイム・ファンシー・ア・グラス・オブ・ビアー」と、連れ。「オーケー」。座ってビールを飲んでいると、格好の良い女がスイスイとやって来て、カウンターの前でピタリと止まって、何か注文している。身なりもスッキリしているけれど「スイスイ、ピタリ」が何とも言えない。連れも私も、惚れこんだ。「イイわねー」と私。「スマッシング!」と連れ。彼女は何と、ローラーブレードに乗って来たのだ、若き日のオリビア・ニュートン-ジョンみたいに。
店に入ると、色々なものがあった。ブラシには洗剤を入れるボトルが付いていて、ホースも付けられる仕掛けになっている。つまり、洗剤と水が適宜に出て来て、ボートの洗浄に便利だという訳だ。値段は¥5,000。バカバカしい、¥250の家庭用品で良い事にした。ラインを選んで、10mのを2本作って欲しいが幾らかと尋ねたら、¥12,000だと言う。イギリスでは¥2,500相当で買えるものだ。バカバカしい、イギリスで買って来よう。双眼鏡は自動的に焦点が絞れるようになっているのがあった。急ぎの時は便利だ。特に一人の時は、ハンドルを握っていて手が離せない時もある。¥10,000也。買う事にした。ソフトウエアは、係の者がまだ出勤して来ないから相談に乗れないそうだ。店先に並ぶ品も、国柄が出る。そういう意味では、イギリスで製造された物は実利的に出来ているので、信頼が置ける。1年や2年で壊れてしまったりもしない。ところで隣の店に、素敵なスクーターがあった。もちろん電動。新品同様だが中古なので3分の1の価格。¥60,000也。港の中を私はテクテク歩くが、賢い人はスクーターに乗る。あれば良いナア、でも高いナア。「アイム・ファンシー・ア・グラス・オブ・ビアー」と、連れ。「オーケー」。座ってビールを飲んでいると、格好の良い女がスイスイとやって来て、カウンターの前でピタリと止まって、何か注文している。身なりもスッキリしているけれど「スイスイ、ピタリ」が何とも言えない。連れも私も、惚れこんだ。「イイわねー」と私。「スマッシング!」と連れ。彼女は何と、ローラーブレードに乗って来たのだ、若き日のオリビア・ニュートン-ジョンみたいに。
さて、午後は何をしよう。近辺の地図を見る。ポルト・エルコーレへは、山裾沿いに散歩道が付いている。40分位の道のり。歩いてみることにした。ついでに洗濯袋も担いで。マリーナには何でもあるが、洗濯の設備が無い。ポルト・エルコーレ迄行けばあるのだそうだ。「どーして、こんな基本的な設備を欠いているのか!」と言っても仕方がない、ここはイタリア。木漏れ日を追いながら、涼しい道を歩いた。しかし町に着くと、ギラギラと暑い。やっと見付けた洗濯屋は、ドライ・クリーニングの店で、コイン・ランドリーではなかった。「普通の洗濯もしてあげるけど、30ユーロ(¥3,636)よ」。コイン・ランドリーの3倍から4倍の値段を吹っかけて来た。洗濯物は殆どが連れの衣類。彼はバスに乗って、砂州の向こうのオルベテッロ(Orbetello)に行くことにした。私はポートに帰る事にした。ポルト・エルコーレは、追放になっていたカルヴァッジオが客死した町。自らの首を「ヨハネの首」さながらに描いた、その生々しい絵を思って、気が滅入った。
凄まじい雨音で目が覚めた。窓を見ても、何も見えない。コクピットに出てみた。目の前の山が灰色の影のように見える。コルシカのボート・ヤードがカノピーを支えるポールを1本失くしてしまったので、後部のカノピーを掛けていない。見事にズブ濡れだ。雨で、朝のシャワーを浴びている人がいる。天の恵みのシャワーという訳だ。雷も鳴る。朝のコーヒーを入れて、しばし雨を見る。こんな雨は、イエメンで見たことがあるだけだ。年間を通して28度という晴天が、夏も冬も毎日続いた。けれど、秋と春の短い雨季に入ると、こういう雨が降った。一時の降雨は30分程だったけれど、坂の下には小さい川が出来る程の量が降った。雨が降ると、家族全員居間の窓から坂下に川が出来ていく様を眺めた。「雨を貯水して、マレブ一帯の砂漠を灌漑して、古代ローマ人がアラビア・フェリクス(Arabia Felix)」、すなわち「沃土のアラビア」と呼んだ地だ。
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雨2日目。私は本を読み続け、連れはコンピューターを覗き続けている。「ヘイ、ウイー・キャン・ハイヤー・モーターバイク。ザ・プレイス・イズ・ニア」と、連れ。午後、雨が上がった。そこで貸しオートバイ屋迄歩き、オートバイを借りる。連れは20年程前、オートバイの事故で大怪我をしている。鼻が潰れ、顔の何処かに鉄の枠が入っているのだそうだ。その事故以来オートバイに乗っていない。「大丈夫かな?」と思わないでもなかったが、「オートバイに乗る」という興味の方が強かった。オートバイは、自転車をちょっと大きくした位の大きさだった。それでも、ちゃんと走った。これでモンテ・アルジェンタリオを一周するつもりだそうだ。連れが道路を確認したのかどうかは知らないが、その内、舗装道路が切れて砂利道になり、道無き道になり、しかも下り坂になり、デコボコになり、まるでイエメンの道路を走っているようだった。当然のようにバランスを失い、横倒し。私の右足はオートバイの下敷きになり、その又上に連れの体重がドッカリのった。彼は太っちょではないが、身長198cmの体躯。重いに決まっている。私の足の骨が折れなかったのが不思議なくらいだ。じゃあ、オートバイなんかに乗らない方が良かった?イヤ、オモシロかった。
https://en.wikipedia.org/wiki/Arabia_Felix |
ローマへ嵐は去った。晴天。ローマ迄は150km。時速40kmで行けば、4時間弱。午前10時に出航。午後2時にはローマに着くはず。
風はベイフォート1、滑らかな海面。嵐の後の爽やかな空気の中を、順調に進んで行程の半分位に差し掛かった辺りで、海面の様子が変化した。波紋が海面に出来始めたのだ。その内、滑らかなウネリの表面に直径10mから20m、深さ1m位のクレーター状の波紋が一面に現れて、ボートは「クレーター」の縁を回って「クレーター」から「クレーター」へと進まざるを得なくなった。当然スピードを落として、ジグザグに進む形だ。船体は右へ左へと20度から30度位傾きながら、水平に湾曲した平均台の上を進んでいるみたいな状態だ。1時を過ぎた頃、ランチにサンドイッチを作ろうと思ってキャビンに降りて冷蔵庫を開けた。途端にチェリートマトがバラバラ転がって床に散らばった。その一瞬、状況が警戒を要するものである事を知った。サンドイッチどころではない。 「平均台」の上を、右に左に傾く事1時間余り。行程は、遅々として捗らない。連れに何か食べさせなければならないと頻りに気になり始める。私一人なら、当然ハンドルから離れる事など出来ないのだから、ランチもヘチマも無い、続行するのみ。しかし私がハンドルを替わって取るにも、その交代する数秒の不安定な位置が危ぶまれる。余計な事はしない方が無難だ。このまま連れがハンドルを握り続けた方がいい。それだけ明解に状況を理解していながら、それなのに私は再びサンドイッチごときを作りにキャビンに降りようと階段に脚を置いた。その瞬間、船体が傾いて階段で尻餅をついた。すぐに起き上がったが、右足を床につけられない。右足首を3箇所骨折していた事を後に病院で知った。 足の異常は告げずに連れの横に座り、海面を見つめた。一体どういうことが海面下で起きているから、こんなクレーター状の、波紋というには大き過ぎる様な波紋が、海面に無数に出来るのか。海には様々なエネルギーの発生を促す要素がある。海面下の火山爆発、月が引き起こす海水の満ち干、海流同士の摩擦、そして風。しかし、私にとって海が引き起こすエネルギーは風によってだけだった。コルシカ・エルバ間の例外を除いて、沿岸しか航行しないからだ。岸から1km、深さは100mを越えたことは無い。しかし、現在目にしている波紋は風によって起きているのではない。海面下から上がって来ている。海面下のエネルギーは、円を描いて上がって来ることを、後で調べて知ったのだが。いずれにしても、岸辺から1km程の所を進んでいるのだから、波紋は岸辺に当たれば砕けるはず。その内ようやく、岸辺からの反動が現れる様になった。波紋が割れて、混乱した荒波に変わったのだ。そしてローマの港らしい一点が目に入った。赤いビーコンが、双眼鏡の視界に入る。 |
ローマ近郊の海岸オステイア(Lido di Ostia)には、湾が無い。つまりオステイアの海岸には、まともに波が打ち当たる。そこに港を造るために、テベレ川が海に流れ込む脇に長い防波堤を築いて、港の入り口には二重の門を立てて、しかも二つの門の間には楕円形に海水が流れ込んで水の勢いを制する様に造ってあった。フランスのアグド(Agda)にある運河に造られたロックも、楕円形だった。運河のロックは通常、水路の一部を囲って長方形に造る。運河は通常上下二つの往き来だけだからだ。しかしアグドのロックは、地中海に出る用をも図るために十字路に造られているので、水の動きを逸らすように楕円に造られてあった。海の勢いを制するために防波堤を造るのだから、その入り口の幅は、もちろん広過ぎてはいけない。それでも波が穏やかなら、十分な広さだ。しかし波が荒ければ、入って行くには、多少の心構えが必要だ。度胸といってもいい。しかし、無事関門通過。
着岸してホッとした時、歩けない事情を白状した。やっとローマに着いたのに、その午後見たのは病院のみ。連れは私のためにギブスを買いに走り回って、気の毒な事だった。ちなみに応急手当以外のギブスや薬品は、薬局に行って買わなければならない。しかし病院での緊急手当は、イタリアではEU 加盟国の如何に拘らず無料。フランスでは有料だった。
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私達のバースに一番近いレストランが、マリーナで一番良いレストランだったというのは幸運だった。私は当然、御馳走を以って骨折騒ぎに走り回ってくれた連れを労った。ローズマリーと塩を振った焼きたてのフォカシオ。そして二段重ねの大皿に盛った海の幸。キノコのスパゲティ。もちろん特上のワイン。それでも€100(¥12,100)を一寸超える位だった。見回すと、客は私達の他に1組だけ。構えとしては50人位は会食できるのだが。しかも7月の末、正にシーズンの盛りに。不思議な事だ。そういえば、マリーナに停泊しているボートの大小を問わず、真っ暗。無人だということだ。女主人が説明するところによると、マフィアが滞在しているという噂があるから、誰もが避けているのだそうだ。噂だけで事実ではないのだけれど、と付け加えたが。
二日後、連れと共に私もイギリスに帰る羽目になった。骨を折ったのなんか、全く生まれて初めての事だ。 https://manoa.hawaii.edu/exploringourfluidearth/physical/world-ocean, Wave Energy and Wave Changes with Depth |
追記
今、自宅の机に向かって丁度1年前の事を思い返しているのだが、あの「クレーター」の端を渡り続けることが私に出来たろうか。もし私一人が乗っていたのなら、やるしか無かったろうが、無事に乗り切れたろうか。一瞬の判断の狂いで「クレーター」の中に落ち込んだら、1mの深さとはいえ、縁に這い上がれたろうか。エンジンは、それをしたかもしれない。が、這い上がったら又落ちる、その繰り返しをする羽目になっただろう。スピードを時速8kmに落としたら、波に弄ばれる。スピードを落とせる限度は時速13km。つまり、1秒で3.6m進んでしまう。「クレーター」が直径10mなら、3秒毎に1mの波を超えることになる。そんな波越えを1時間以上も続けられただろうか。均衡を保ち続けられただろうか。... 難しい、とても。もしかしたら、サンドイッチを作ろうなどと考えたのは、あの「クレーター」に覆われた海面を見続けるのが怖かったからか、とさえ思えて来る。いや、それが本心だったのではあるまいか。今、自宅に座って安全だから危険の実態が見えて来る、というのも妙な事だが。
しかし仮にボート・レーサーなら、時速56kmで走ってプレーンの状態にもって行き、秒速16mで、10mから20mの「クレーター」を掠り飛ばして走ることは出来たのだろうか。風は無かったのだ。それとも、これは「机上の計算」なのだろうか。どなたか教えて頂きたい。 (2020年7月21日記)
しかし仮にボート・レーサーなら、時速56kmで走ってプレーンの状態にもって行き、秒速16mで、10mから20mの「クレーター」を掠り飛ばして走ることは出来たのだろうか。風は無かったのだ。それとも、これは「机上の計算」なのだろうか。どなたか教えて頂きたい。 (2020年7月21日記)