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海辺が二つ続いたので、三つ目の避寒地では田園を眺めて暮らしたい… と夢想した。ところで地中海を語るには何といってもイタリアを抜きにしては形が整うまい。何しろイタリアは風景良し、食べ物旨し、歴史はドッサリ、音楽・絵画・建築・彫刻のいずれを取っても盛り沢山に揃っている、地中海世界の文化の中心なのだ。 来年はボートをイタリアに持っていく下準備としても、イタリアの最近の事情を見ておく必要がある。ともあれ、イタリアで田園風景ということなら、トスカーナ地方だろう。脳裏に浮かぶのは、 冷んやりと靄る朝の空気の中に、緑の丘の畝りがなだらかに、且つしなやかに広がるさまだ。とは言っても行ったことは無い。写真で見ただけなのに、知っているような気になっている。それ程至る所で引き合いに出される、心魅する風景だ。州内にはフィレンツェがあり、ピサがあり、シエナが控えている。
Google で気温を見ると、トスカーナ地方のその日の気温は摂氏5度と出てきた。それではロンドンと同じではないか。成る程トスカーナ地方は最高峰2,912m のアペニン山脈に続く丘陵地帯で北緯43度、北海道の最北端宗谷岬が北緯45度だから、南方に位置するとは言い難い。トツコウツして、北海道の真冬の気温がそぞろ思い返されて、ブルブル、止めてオコー、ということになった。もっと南、最大限南下して、その最南端は… もちろんシチリア。その州都はパレルモ。ふむ、街の真ん中で暮らすのも悪くない。一歩外に出れば、隣はカフェ、向かいは花屋、その数軒先はレストラン、市場も近い… というのは至って悪くない。シチリアはマフィアの拠点だけれど、マフィアが私如きに関わるとは思えない。パフォスの住まいもカスカイスのも街中からは外れていた。ロンドン近郊の自宅も同様。考えてみれば、街中と言える様な所に私は暮らしたことがない。暮らしてみよう! |
住居選び |
トスカーナ地方の物件を検索した時、チラリと見ただけで慌てた。桁違いの住居が、と言うか、美術館ないしは博物館の一画か? と見間違いそうな物件がザラザラ出てきたのだ。ローマにしろ、ベニスにしろ、イタリアは何処だってそうだろう。パレルモも例外ではあるまい。名画や芸術品と言えるような家具に囲まれて暮らすのは一体どんな気分だろう… と思わないわけではないが、値段も桁違いなのだ。足元を見て暮らすことを、忘れてはならない。
今回は villas.com というのを選んだ。booking.com と同じ系列の会社らしい。値段の上限を肝に命じて、さて今回の検索基準は前述したとおり街中。目に留った1軒には、どうやら広めのテラスがあるらしい。そのテラスの背後に、日に晒された屋根や雨に汚れた壁の間から、教会の塔が二つ見える。私が抱くイタリアの街中のイメージだ。 |
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で、そのイメージだが、どうやって育んだのかというと、それは映画だ。『鉄道員』や『自転車泥棒』は、戦後のネオ・リアリズムの秀作だ。いずれもイタリアの庶民が貧しさの中で押し潰されそうになる中で、幼い息子が懸命に父を支える姿が話の軸になっている。希望の何某かがあるとすれば、それは少年が成長した時を待つ… ということであるらしい。つまり、親の代では報われないことを言外に示している。遣る瀬ない。
他方、少年指揮者ロベルト・ベンチが音楽に目覚めていく様を映画化したのを16歳頃に見たが、あれは希望を抱かせる。天才少年が自分の才能を磨くばかりか、彼を売り物にする人々をも出し抜いて、音楽の高みを目指す姿が描かれていたからだ。当然あそこに映された街角も、私のイメージの一端を負っている。石畳を裸足で走り回る彼が教会に迷い込むと、巨大なパイプ・オルガンがバッハのフーガを響かせていた… 。貧しい庶民の住まいに隣接して教会が散在する、ああいう街角の片隅で、庶民の生活の音を聞きながら暮らしてみたい。 パレルモにやって来た。住居は街のド真ん中、駅とマッシモ劇場との中間辺り。ローマ通りとマクエダ通りが2本平行して市内を縦断しているが、後者のマクエダ通りをマッシモから駅に向かって歩いて来てクアットロ・カンティの十字路を渡り、3つの教会が向かい合うベッリーニ広場を見遣って、プレトリアの噴水を過ぎると直ぐに狭い道に入って角を二つ曲がった所にある。マッシモから急いで歩けば10分、ゆっくり歩いても20分。重い木造りの扉を押して入ると、中は真っ暗。ドアが閉まりきってしまわない内に手前のスイッチに触ると、そこが広目の玄関の間になって
いて、高い天井から小さなシャンデリアが下がっているのが見える。右手の壁に沿って大きい木造りのテーブルが備えてある。観光案内のパンフレットが並べてあって、持っていってもいいらしい。左手のドアを開けると、そこは広目の部屋で共同の洗濯場のようだ。洗濯機やアイロン台、物干し台が並んでいる。これは皆使ってもいいらしい。モップや箒も沢山立てかけてある。これも使っていいらしい。 何故「らしい」としか書かないのかというと、持ち主は昨夜鍵を渡すや碌な説明もなく、そそくさと去ってしまったのだ。9時を過ぎていたので無理もなかった。私も疲れていた。見知らぬ街を、1時間も*コレクティーボに揺られて最後迄残された客だったのだ。怪しげな裏道を幾つも角を曲がって(と昨夜は感じた)真っ暗な場所を突っ切ってエレベーターで上って部屋に置き去りにされた形だった。昼間の明かりの中で見ると、ミステリアスでも何でもない。可愛らしく設えられたアパートだった。 内装は、壁も天井も白く塗ってあって、寝室のカーテンも白。床は石のタイル張りで、寝室にはバルコニーが付いている。台所はテラスだったものを、ガラスで囲ってコンサーヴァトリー風の造りにしてある。何処も白くてモダンに内装した中に、置かれた家具は反対に皆古道具屋か何処かで集めて来たものだろう、それらを一つ一つ、それなりに仕上げて置いてある。寝室にはキリストを抱く聖母を現代風にアレンジした絵が1枚。居間に掛けた小さい方の油絵は、古風な手法で無人の通りを描いたもの。そうかと思うと、居間の真っ先に目に入る壁に掛かった1枚は、現代風でユーモラス。どれもプリントでもコピーでもない。これは、さすがにイタリア。 何が可愛らしいのかというと、台所の布巾に、赤や黄色の糸で果物の刺繍がしてある。食卓に添えたスツールが小さくて、子供か小人しか座れない。大きなお尻や、大男の用にはとても足りない。そしてユーモラスな油絵だが、これがカラフル。目と口の大きな魚たちが描いてあって、子供たちが喜びそうな絵だ。(これは模写だろうか。どっかで見たことのある有名な絵のような気がするが、思い出せない。) が、テラスは何処だ。テラスが無い。居間も予約確認のメールに載っていた写真とは違う。詐欺とは言わないまでも、これは「広告に偽り有り」そのもの。さすがにイタリア、聞きしに勝る嘘つき奴!即座に家主に電話した、話が違うではないかと。だいたい居間には窓もない。言わせてもらうなら、居間というよりは階段の踊り場だ。階段から今一つの部屋即ち寝室に行く為の空間だ。台所は、明らかに屋根の一部。これで週450ポンド(¥71,550 )を払わせるのか!私としては、ちょっとした剣幕だった。 やって来た家主は30歳そこそこの昨夜の女性。説明するところによれば、この建物には6軒のアパートがあるが、予約確認に使う写真は一番良いアパートのテラスと居間の写真のみ。それぞれの予約確認に符合するアパートの写真をメールに添えているわけではないと「白状」した。私としては、ダブル・ルームを予約したつもりだったのに、シングル・ルームに入れられたようなものだ。これは villas.com に抗議したものか、あるいは booking.com に言ったものか。私の剣幕に臆したのかもしれない。彼女は、私の滞在の後半10日間は、写真のアパートを提供できると言った。 「踊り場まがい」の居間に住む精神的影響を書いておこう。先ず、気が滅入る。夜なら窓が有っても無くても同じなのだから気にならないかと考えたが、そうではない。想像力も思考力も、まるで閉じ込められたかのように萎縮する。刑務所や牢獄の窓が小さくて、しかも目の届かない高いところにある理由を、身を持って理解した。しかも今回は値段が高いだろうと予想したので、ベッド・ルームが一つしか無いアパートにした。二つ目のベッド・ルームが有っても使わなければ無いのと同じ様なものの、これも影響があった気がする。限定された様な気分が生まれたのだ。実際、家の中で歩く距離が相当に狭まった。総合すると、部屋が小さくても窓があれば、さらには大きければ、気分の萎縮はまぬがれるだろう。又は、窓が無くても部屋が大きければ、影響は緩和するかもしれない。小さくて窓のない居間で夜を過ごしたのは、結局11日間滞在した内の1夜だけ。早々にベッドに入って読み物に耽るという結果になったからだ。朝も、ベッドの中でコンピューターを叩いて昼食時迄着替えないことが多かった。パフォスのアパートに滞在していた間、起きるのが楽しみで、早々と起きて来て、お茶を入れて、日記を書いて… 等というのとは大違いだ。住まいが精神に大きく影響し、したがって暮らし方をも決めかねない事を実証した。 ちなみに、この閉塞感はテラスのあるアパートに移って即座に吹き飛んだ。居間は大き目だし、二方に床から天井迄のガラス戸が開き、その一つにはテラスが続いていて、鉢に植わった植物の背後に、先述の風景が広がっていた。おまけに、教会の塔から鳴り響いてくる鐘の音が、私の一日を折り目正しく運んでいく。このアパートに、私がどれ程の愛着をもったかは、筆舌に尽くせない。値段はどちらも同じ。 |
*コレクティーボ:タクシーの一種で、10人位の客を集めて乗り合いさせる。安上がりで、飛行場から市内までの30分ばかりの距離で1人€10。普通のタクシーなら€20〜45。
換金レート:£1=€1.27, £1= ¥159, €1= ¥125 (23.3.2016 到着現在)
気候
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テラスのあるアパートに移った途端、外出が少なくなった。出かけても、できるだけ早く帰って来た。昼食後はテラスで昼寝をし、夕方もテラスでカンパリを傾けた。グラスの中で鳴る氷の音も心地よい… 。つまり、4月の初めに、毎日水着で日光浴ができ、ショートパンツやサマー・ドレスで歩き回れる。ただし、セーターを肩にかけて出かけた方がいい。 そよ風も時には涼しさを含んで吹くからだ。夜は羽織るものが必要。長袖か、七分袖位のジャケットが適当。
テラスにはレモンの鉢があって、大きなレモンが一つ実っている。 レモンは至る所に実っている。レモンのリキュールは美味しいし、750mlで4ユーロと安価。エトナ山の麓にあるタオルミーナ(Taormina)の町には、至る所で藤が満開だった。ロンドン近辺の藤は5月の半ばが時期だから、シチリアでは1ヶ月半程早い事になる。 雨だが、3月22日から4月12日迄の3週間滞在した内、1日だけ終日吹き降りの日があった。さらに1日雨降りの日があった。以外は晴天。テラスの植物には少なくとも3日おき位には、ジョウロでではなく、ホースでたっぷり水を遣る必要がある。真夏でも平均気温は30度を越えず、真冬でも10度を下らない温暖な気候だが、難は、夏の間は極端に乾燥することらしい。街中の至る所に噴水が涼しげな音を立てているのは、単なる飾りではないだろう。日差しの強さは、 4月の始めで既に目が眩む程の明暗を示す。
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地勢 |
住まいのゴタゴタが一応の落着を見、近辺の見るべきものを見終えると、と言うかキリが無いので良い加減飽きたところで小休止して、遠出をすることにした。シチリアに来てエトナ山を見ないというのは、兼好法師が語るところの「石清水八幡宮に行って麓の建物を見ただけで詣でたと思い込んで帰る僧」のようなものだ。否、見るだけでは置くまいゾ、登ろう!… と考える人は少なくないらしく、観光案内を検索してみると色々な会社がツアーを組んでいる。
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麓のタオルミーナでの観光案内も抱き合わせて宿泊込みのもある。かと思うと、パレルモから貸切りバスに乗って1日でこなす強行軍のもある。「おおらかに暮らす」のが現在の私の生活信条なので、強行軍は却下。宿泊は避けられないが、じゃあ団体で泊まり込むのか?それは遠慮したい。見知らぬ人と一時の親交を結ぶのは楽しいが、長時間だと気疲れするし、自らの感慨に浸る自由を失う。ホテルは自分で予約して、山登りだけ仲間入りさせてもらおう。タオルミーナのバスターミナルに集合し、そこからバスで1時間程かけて麓まで行き、次はケーブルカーで2,500メートルの地点まで行き、そこからはジープで噴火口の一つを訪れるという行程だ。え?どこで登るのかって?噴火口周辺を歩くにはガイド付きで行くのが義務付けられているのです。ガイドとジープとケーブルカーはバスも含めてパッケージになっているので、ジープの部分は歩きます、というわけにはいかないのです。
しかし確かにケーブルカーの終点から噴火口迄の結構な道のりでもあり傾斜もある行程を、歩いている人が何人か居た。エライものだ。 ところで彼らは皆中年ないし老年組。どうやら古き良き時代の本格派らしい。彼らにしてみれば、私達のジープは邪魔な存在だったろう。あんなものがひっきりなしに往来するのでなければ、大自然の山懐に抱かれて静けさを満喫できるのに、というところだ。でもケーブルカーは個人で切符を買って乗ればいいが、ガイドはどうするのだろう?ちなみに、ツアーの値段は€110(¥13,750)。電車はインターシティーで行けばパレルモからタオルミーナまでは片道€30(¥3,750)、急行で行けば半額。所要時間は30分の違い。ホテルは1泊€700(¥87,500)のグランド・ホテルから€40(¥5,000)の二つ星迄色々。私は€40のホテルを予約して大いに満足。清潔で見晴らし満点。御覧じろ。 富士山に登った人はお分かりだろうが、火山灰土は歩きにくい。ズルズルと滑る。踏みしめる度に地が定まるのを、一瞬なりと、待たなければならない.。しかも一々体の均衡を 取る羽目になる。成る程、「本格派」が皆トレッキング・ポールを使っていたのは必要だったからだ。でも無くてもいい… と思いきや、右の膝にちょっとした痛みとも言えない微かな感覚があった。それだけだった。ところが10日後、帰りの飛行機の中でその膝がドンドン腫れ上がって、2時間後に飛行機を降りた時には足を引きずる始末。二日後、医者で35mlの水を抜いてもらって、その後1ヶ月は週2回のボクシングは諦めて、水泳も1,000mなんかダメ。しかし膝の一つや二つ捻ったって行く価値はあった。負け惜しみではない。 |
もう一つ団体旅行に加わった。シチリアの西にあるエリチェ(Erice)とセジェスタ(Segesta)にある古代ギリシャの遺跡を見る1日のミニ・バス旅行だ。昼食は、塩田で有名なトラパーニにある*サナコーレ(Sanacore)というワイナリー(脚注参照)。値段は昼食も含めて€90(¥11,250)。
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8人乗りのミニ・バスに運転手がガイドを兼ねて、実によく説明してくれた。恐らく最も効率的に見所を見、外国人には一寸見つけられない格好の場所でお茶を飲み、シチリアの粋を味わえる所で食事をしたという気がする。で、この1日で何が私にとって収穫だったかと言うと、エリチェでもセジェスタでもない。エリチェは数ある古い城塞の町の一つで、セジェスタはこれまた数多あったギリシャの遺跡の一つだ。では何が私を感動させたかと言うと、それは広々と広がる耕作地だった。古代ローマの時代から、シチリアは穀倉地として人々の胃袋を満たして来た。現代でも農業が第一産業で、主要産物はワイン、オリーブそしてチーズだ。昼食に出されたオーブン焼きのチーズは、私達全員が口に含んだ途端に「あっ」と叫んで賞賛した一品だった。心地よく吹き抜ける春風の中で、土地の人が手塩にかけて育てたオリーブやワインを賞味しながら、シチリアの天候が如何に太陽に恵まれ、地味が如何に富んでいるかを味わった。この地味は、他でもないエトナが降り注いだ灰を被って肥えているのだ。私の脳裏に残るのは、あくまでも、その豊かな土地の姿だ。道端の野草が愛らしかった。
__________________ *サナコーレ社のオリーブはその殆どが日本に輸出される。品名はオッギュ(Ogghiu)。 |
歴史
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そんな豊かな土地は誰でも欲しい。おまけに地中海の中心に位置する。シチリアが幾度も所属する国を変えさせられた理由も、ここにある。パレルモに着いて感心した。さすがにイタリアだと思ったのだ。至る所に彫像ありレリーフあり、名所・旧跡の中で暮らしていると言っていいような環境なのだ。一々立ち止まって眺めるのも面倒になる程ある。しかし立ち並ぶ店舗に目を移すと、テアトロ・マッシモの辺りはイタリア人の店が並んでいるが、クアットロ・カンティを渡った辺りからアラブ人の店が増える。私のアパートの辺りはアラブ人の店の方が多い。アラブ人の移民が流れ込むのは、何も今に始まったことではないのだ。駅に近づくと、再びイタリア人の店が増える。分布の理由は何なのだろう?ところでシチリア西方のエリチェ・セジェスタを訪れたバス旅行の間に、ガイドが言った一言が私には意外に響いた。「*シチリアは400年間アラブ人の支配下にあったのです。だからクスクスはシチリアの郷土料理の一品なのです」。私にしてみれば、イタリアとクスクスはどうしても一緒にならない。が、地図を見れば、シチリアはローマへよりはアフリカに近い。チュニジアの首都チュニス迄は、海で隔たっているとはいえ、言うなれば一っ飛びの距離だ。もちろんチュニジアは古代にはカルタゴと呼ばれたアラブ人(フェニキア人)の先進国であり、強国だった。ローマ帝国によって壊滅させられる迄は、シチリアはカルタゴの支配下にあったと資料にはある。だから、その残留がいても不思議ではない。また9世紀には中東から来たアラブ人に300年程支配されたともあった。この点でも、アラブ人が少なからずいてもおかしくはない。しかし、それにしてはモスクが一つも無い。教会は林立していると言ってもいい位あるのに…?
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これもガイドからの情報だが、目下大英博物館でシチリア展が開かれているというのだ。イギリスに戻ってから、すぐに行ってみた。そこで知ったのは、シチリアが多民族国家を銘打った時期があったというのだ。期間は30年そこそこの間でしかなかったのだが、それでも王が自ら寛容の精神を呼びかけて多民族・多宗教・多言語の国家を目指して、公文書も記念碑も3言語で書かせた。即ち、ギリシャ語、アラビア語そしてラテン語で、である。文化も一斉に花開いた云々。そうか、優れた指導者が出現すると、現在ですら存続が容易ではない多民族国家が、たとえ短期間であったとはいえ可能になったのだ。これがキプロスとの違いだ、指導者が出現したのだ、と大いに納得して帰宅した。
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ローマ帝国という国家は存在した。ローマの台頭は紀元前500年頃だから、2500年前だ。ローマが東西に分割されて、ついで西ローマが滅亡したのは5世紀末。しかしイタリアと私たちが現在理解する国が発足するのは19世紀も後半に入ってからだ。それ迄の1300年程の間、「イタリア」では幾つかの都市国家が互いに鬩ぎ合い、これに外国も加わって目まぐるしく国境線の引き直しが繰り返される。そんな中で前述の指導者即ちルッジェーロ2世(Ruggero II)が、シチリア征服を指揮した父を継いで初代の王に即位したのは1130年、以後64年間をシチリアのノルマン時代と歴史家は呼ぶ。
王は多民族共存をモットーに、パレルモを首都として、建物をモザイクで飾るために東ローマから職人を、つまりギリシャ人を招き、絵師はエジプトから、即ちアラブ人を迎えて国造りを始めた。既にシチリア在住だったギリシャ人もアラブ人も、恐らく誇りに思ったのではあるまいか、そんな効果も想像できる。また貨幣にも3言語で文字を刻み、民間に浸透させた。便利さもさることながら、自らの言語が刻まれていることは、自らの存在、あるいはアイデンティティーを公認されたことを意味したのかもしれない。人々は其々の言語で語り、其々の宗教を信じ、其々の伝統・習慣を維持する事が出来た…。 誰もが自らの在り方を認められたのだ。人権の尊重が認められたと言い換えても良い。ここで教授は裏話めいた事実を披露した。実はこうした理念・指針を入れ知恵した「王作り」の人物がいたのである、と。その人物はアルメニア人で、複数の言語を駆使して外交に勤め、ある可き方向を王に進言したのだそうだ。 「王自身はさっさと後宮に引っ込んで女遊びが昂じて死んだんですよ」。 ルッジェーロ2世の息子の時代になると、アラブ人は大規模な虐殺に合う。アラブの建物も完膚無き迄に破壊された。地中海一の農作地が焦土と化した時期すらあった…。講演後、質疑応答があった。「多民族共存は民間にも浸透したんですか。」「いえ、ラテン語はシチリアでは未だ誰も解らなかったでしょう。婚姻もギリシャ人とアラブ人との間にあっただけです」。理想は試みに終わった様だ。否、フランスのノルマンディに祖を持つルッジェーロ2世が、上からのお仕着せを与えたが受け入れられなかったということかもしれない。かくしてシチリアは2500年間、あちこちの植民地であり続けたという事であるらしい。 それにしても、シチリアが古代からイタリアの一部であると思い込んで来た私は大間違いだった。ヨーロッパの歴史は複雑だ。いや日本の歴史が、幸いなことに、単純であり得ているという事だろう。 *原題は "Sicily: a force to be reckoned with in the ancient world" *Jeremy Johns/Faculty of Oriental Studies, The Khalili Research Centre |
現状
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いやはや、他人の国にケチを付けるのは本意では無いのだが、足を置くのも躊躇する程道が汚い。ゴミが散らかっているだけではない。排水が悪いらしく、あちこちに水溜りがある。腐った水の匂いも漂っている。各家庭から排出される生ゴミも何もかも、通りのアチコチに置いた大きなトロリーに投げ込まれるのだが、蓋が無い。これはギリシャでも同じだった。イエメンではそのゴミを山羊がつついて餌を漁っていた。その山羊を人間が、祝い事がある度に丸焼きにして隣近所・友人・知人が集まって頬張っていた。夏には蛆が湧くだろう。思っただけで鳥肌が立つ。
道だけではないらしい。裏通りに入ると、暗い穴倉の様な店舗が並ぶ。一体誰が好んでこんな店に入るのかと、チラリと見遣れば品物も碌に無い。その内の1軒が美容院で客がいるらしく、ドライヤーが唸っている。ふむ。もう少しマシな店構えの床屋がアパートの近くにあってその前を毎日通るのだが、やっぱり足を入れる気にはなれない。もっとも床屋だから入る理由も無い。市場も同様。カスカイスでもパフォスでも、市場の床は毎日洗い流されて清潔だった。パレルモでは、市場という建物があるのではない。店を構えていれば板を持ち出して品物を並べ、店を構えていなければ板だけを置いて品物を並べた露店がうねうねと連なっているだけだ。床は舗装されている所もあるが地面が剥き出している所もある。排水装置は期待できない。 しかしアパートの扉を押して中に一歩入ると、手抜かりなく掃除してある。掃除婦が隅から隅まで清掃していく。もちろんシーツもタオルも取り替えていく。バスルームには石鹸やシャンプーが備えてあり、台所にはコーヒーや当座の朝食の買い置きさえしてある。つまり個人の持ち物は持ち主の管理基準に沿って維持されるが、公共の場所は放置された形だ。住民の公共道徳ばかりが問題なのではない。道路やゴミ処理、さらに市場の維持は地方自治体の責任だから、地方自治体の処置が行き届いていないわけだ。 港に向かって歩いて行くと、ハッとする程洗練されたホテルがあった。とても私が出入りできる値段ではないと判断して、遠慮して脇道に入った。そこはホテルの裏に面していて、隣接する建物はというと、例によって寒気が走るような汚さ、貧しさ。富裕と貧困が隣り合わせで存在する様は、その格差をより際立たせる。これを住民は受け入れているのだろうか。少なくとも、その一瞬には騒動は起きていなかった。 ローマ通りを歩いて行くと、何と靴屋の多い事か。イタリアの靴は、異論もあろうが、まあ世界一。私が買ったのは、エトナ山に登るためのズック靴一足だけだが、よくできていた。蒸れないようにメッシュ様の通風機能のある生地を一部縫い付けてある。チャックと靴紐の両方をつけてある。踝まで覆うバスケ・シューズ風なのも登山には適している。€100払った。安くはない。
でも衣類は、デザインは良いのだが生地が安物で、ローマ通りとマクエダ通りの両方を軒並み覗いたのだが何も買わなかった。しかし紳士物のマフラーが欲しかったので、王宮と港を繋ぐヴィットリオ・エマヌエレ通りの高級店に入った。チョット気後れがしたが、気を取り直してショウ・ウィンドーに飾ってあるマフラーの一つを見せて欲しいと頼んだ。斬新な柄だったのだ。が、手に取ってみて唖然とした。ペラペラの化繊なのだ。そこで「カシミアかウールの物が欲しい」と言うと、引き出しから数枚を出して来て、これしか無いと言う。良い材質の物など売れないのだという言い訳も添えて。 「イタリア料理は美味しい」というのには誰も異論をもたないだろう。パレルモに着いた夜、気づいてみると10時になっていて胃袋は空っぽ。イタリアに行くのだからというわけで持参の食料は無し。そこで暗闇の未知の街を、レストランを求めて、出来れば家庭的な所を見つけたいと願いながらネオンを頼りに歩いた。かなり歩いた、と感じた辺りでチョット道を外れた角に街灯が立つ。その下にはレストランの看板あり。シメタ! 入ってみると土地の常連が主客らしく、主人は客の近況を訪ねるのに余念が無い。 私はおずおずと、しかし店内のアット・ホームな雰囲気に安堵してカルボナーラを注文した。しかしながら、出てきたのは、何と、小学校の生徒だって、こんなものは作らない!味?そんなものがあるわけがない。何と書きあらわすべきか?試みるなら、強いて言うなら、ホワイトソースの出来損ないの中に、1cm位の長さのベーコンらしき、それも糸状の物が15本程浮いていて、茹で過ぎのスパゲティーに絡まっていた。水っぽいワインらしき物を1杯添えてアイスクリーム付きで、それでこのシロモノに€20払わされた。店内を改めて見渡すと、いずれも常連と思しき人々。こんなものを食べに、この人達は毎日この店に来るのだろうか。まあ、家庭料理というのは洗練とは無縁だが。 観光客相手のレストランに入った。「シチリアの味」と銘打ってあったのだ。ところで台所は客席からは離れた所にあるらしく、ウエイターは通りを挟んで行き来する。ご苦労なことだ。客席を広くとりたいがためだろう。イカの唐揚げを前菜にとって、リゾットを主菜に選んだ。ワインを1杯飲み、食後にエスプレッソをダブルで飲んだ。〆て€28、日本円で¥3500。高くはないが、安くもない。で、その価値はあったか?無い。イカは味が無かったから、恐らくスーパー並みの冷凍品。リゾットはベタベタしていて米はふやけていた。数日前に作ったものを、水を加えて温め直した結果だ。 タオルミーナに着いてレストランを探した。腹ペコだったので、目の前にあったレストランに飛び込んだ。ウェイトレスも感じの良い人だったのだ。イタリアに来たのだから1度はピザを食べようと決めて、魚介ピザを頼んだ。出てきたのは、掛け値なく、正直言って、こんな不味いピザを私はイギリスでも日本でも食べたことが無い。スーパーの冷凍品だって、もっとマシだ。魚介類が冷凍品な上に、解凍して日が経っているのだろう、味が無いばかりか、匂いさえしかねない。おまけに、チーズで誤魔化しようにも、チーズは疎ら。主人がやって来て、「お味は如何か」と尋ねた上、「残りはお持ち帰りになりますか。箱にお入れしましょう」と言ってくれる。ここはグッと我慢して、というのは苦情を並べる元気が出なかったのだ。店を出て直ぐ、ピザの箱はゴミ箱に直行した。 明日は去るという日、マッシモでのコンサートを予約した。うっかりしてオペラは見逃したのだが、仕方がない。コンサートは8時に始まるので、マッシモで軽い夕食を取ろう、気持ちの良い夕方だから。が、マッシモのカフェは、その日は食事を出さない日になっていた。知らなかったのだから、これも仕方がない。で、その隣の素敵な構えのレストランに行った。何も贅沢をしたかったからでも、気取ったからでもない。もう、金輪際、不味いものを食べさせられたくなかったのだ。そこは、客席全体が庭園にあるかのような造りになっていた。中心には噴水があって、等身大の彫像が立って、水瓶から水を注いでいる。周囲は植え込みで囲んである。水と緑、心安らぐ設定。おまけにウニのスパゲティーがメニューにあった。ああ、来て良かった!それで美味しかった?う〜ん、ウニが少なかった。飾り程度でしかなかったのだ。 家庭料理風、シチリアの味、イタリアの取って置きのピザ、そして高級レストラン、どれを取っても美味しいと言えるものは無かった。けれども材料は素晴らしいものがあるのだ。つまるところ、市場に行って買い物をし、自分で料理するのが一番ということであるらしい。 |
物価
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バスケ・シューズ風のズック靴は¥11,250で、紳士物の純毛のマフラーは¥16,250。シャネルのジャケットが¥31,250から¥47,350。さすがにイタリアのデザインは洗練されているが、相応の値は覚悟すべし。
住居は3週間で¥214,650。パフォスの¥264,576に比べると2割安ということになる。しかしパフォスのマンションは一級地で、パレルモのアパートは巷の路地裏。しかし其々の味わいがある。どちらが良いかは決しかねる。しかしパレルモのアパートは3週間だったから良かったのだと言えなくもない。その点パフォスのマンションは、買っても良いと本気で思う。終の住処にしても良い、と思えるのだ。ではカスカイスのはどうか。あれも3週間で十分。ちなみにカスカイスの3週間の家賃は¥260,568とパフォスの一級地並み。 飲食費はどうか。パレルモでは¥38,796。パフォスでは¥46,746。カスカイスでの合計を単純に割って3週間分を割り出せば¥60,341。品揃いで言えば、パレルモもパフォスも、カスカイスの比では無い。 さて市場。並べてみると、アサリは¥750、筒イカは¥500、小さい甲イカは¥625、ウニ、小さいマグロ、エビ共にそれぞれ¥625を払った。イワシは一山¥125、次に味。エビは絶品。イタリアのパセリと一緒にオリーブオイルで焼いただけで塩も要らない。ところで塩だが、これが美味しい。この塩でマルガリータを飲んだら美味しいだろう。塩は買ってきた。テキーラも去年の秋に貰ったのがある。イギリスに帰ったら早速試してみよう。マグロは刺身にしたが、小さいので味が無い。切れ端を集めてワインをじゃぶじゃぶ入れてソボロを作ったが、こちらの方が味が出てマシ。叩きにした方が良かったのかも知れない。ウニはまるで身が入っていない。10個のイガを抉じ開けて、お猪口に1杯あるか無し。まだ季節が早過ぎたのだろう。けれども、その香り、それは正しく海そのものの香り。¥5を無駄にしたかと思ったのだが、この香りを味わって満足。甲イカはワインに醤油を垂らして一煮立ちさせると、真っ黒になってしまった。インクが出たのだろうが、どういう化学反応だったのだろう?筒イカはもちろん天婦羅にし、これは柔らかくて美味しかった。アサリは当然スパゲティー。硬い白い玉葱と丸々としたニンニク、そして豊富に出回っているイタリアのパセリをオリーブオイルで焼いて、そこにワインをぶちまけて蒸し煮にして出来上がり。これ以上イタリアを感じさせる一品もあるまい。イチゴが盛んに出回っていた。1ユーロ半(¥239)。 最後にマッシモの値段を書いておこう。コンサートはボックス席で¥2,750を払ったが、オペラでも ¥10,000から¥12,500。ロンドンのロイヤル・オペラなら2倍から3倍の値段を払うところ。 換金レート:€1= ¥125 (23.3.2016 到着現在) |
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それでは、ご破算で願いましては、 (数字は全て¥)
パレルモ 自宅 住居費 214,650 — 飲食費 38,796 79,000 飛行機代 41,658 — 交通費 12,084 9,370 外食 16,695 入場料 4,770 遠出費用 29,733 ________________ 合計 358,386 <換金レート> €1= ¥125 (2016.3.23 到着現在) 住居費が安いのは小さいアパートだったからだが、飲食費の安さには驚いた。スパゲティーばかり食べていたせいだろうか。倹約をしたつもりはなかったのだが。交通費も安め。しかし外食は4回しただけなので、平均4千円を越える事になる。不味いくせに高いのだから、改めてガッカリする。イタリア料理が美味しいというのは、迷信だとしておこう。お菓子まで、ただ甘いだけで美味しいというものではなかった。八つ当たりではない。 |
パフォス カスカイス 住居費 262,912 260,568 飲食費 46,452 97,960 飛行機代 23,700 24,490 交通費 66,044 17,380 外食 12,640 16,000 入場料 948 11,000 遠出費用 - - ___________________ 合計 412,696 427,398 |
3カ所を並べると、高いだろうと予想したパレルモが一番安かった。それにしてもカスカイスでの飲食費の高さは、見事な魚はあるが食べてはいけないという事だろうか。パフォスでの交通費が高いのはレンタカーのせいだから、レンタカーが必要な場合には十分にオンラインで検索して、信用のできる会社を選ぶべきだろう。パフォスの入場料の安さは、文字通り桁違いで、払う方が気が引ける位だ。そのうち高くなるのかもしれないが。
文化
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スーパーへ行くのに プレトリアの噴水を横切って行く、正午マルトラーナ教会の鐘(ではないかもしれない。教会が在りすぎて、どれかは判らず仕舞い)に促されて昼食の用意を始める、毎夕の散歩の途次にクアットロ・カンティを曲がって港へ向かう… これがシチリアの、とは言うまい、イタリアの文化だ。それが喩え2千年前の古のものであろうと、ゴミ溜と同居を余儀なくしていようと(事実、ベッリーニ広場脇の隙間にマットレスの捨て置きやら何やらが詰め込んであった)、素晴らしい遺産の中で日々を暮らすのがイタリアの生活環境だ。
復活祭の前夜だった。いつものように少年が両親を相手に口喧嘩をしているのが聞こえた。その夜は殊更に長時間に渡って遣り合っている。同時に祝いの カンツォーネが響いて来る。暖かい夜だった。通りが狭いので、というか建物と建物の間が1間そこそこなので、隣の建物の中が覗ける位だ。したがって 近所・隣の話し声が筒抜けに聞こえる。いつもの私なら微かな騒音も嫌うのに、何故かパレルモに居た間は気にならなかった。いや、むしろ和やかな気分で聞いていた。 観光案内を見ていてバロックの名作ジェズ教会が市場への途次にあることを知る。11世紀に建てられたもののようだが、第二次大戦中に爆弾がまともにドームに落ちて倒潰し、10年後に近代技術で修復が完成したと資料にあるから、複製だと思えばよいだろうか。ともあれ、その内装はベッリーニ広場のサンタ・カテリーナ教会共々装飾過多なのだが、 これ程隙間なく装飾するのにどの位の時間が要したのだろう。明けても暮れても装飾の一つ一つを型取り、無限と思われる壁や天井に貼り付けていく職人の背中が目に映るようだ。 土曜日の朝、静かな道を選んで港に向かって歩いて行くと、古物市が立っていた。市といっても人々が思い思いの品を布の上に広げているだけのものだ。板をテーブルの様に仕立てて店開きしている人もいる。結構な規模だ。公園の緑を背にして2百メートル位の長さはある。細かい装飾品や、置物、絵、ハンドバッグ、本、DVD、食器、家具迄ある。アパートの家具はこういう所で買って来たのかもしれない。一寸磨いたり、ニスを塗り替えたりすれば、新しい物よりむしろ味わいが出るだろう。古風なクリスタル・グラスもあった。
運転だが、一寸怖い。かなり乱暴な運転をする娘が、イタリアでレンタカーを借りてイタリア人に混じって運転した時は、ひっきりなしに冷や汗をかいたと言っていたが、さもあろう。エリチェ・セジェスタ旅行の運転手は30代の女性だったのだが、その運転はアクロバット並。私には連れがなかったので助手席に座らされて、眺めは満点大満足。しかし運転の様もまともに目撃させられた。彼女は高速をクネクネ車線を変えて追い越し、ゆっくり走っている車があれば、ギリギリまで追いすがって圧力をかける。「そこ退けそこ退け(お馬ならぬ)私が通る」という事であるらしい。冷や汗どころか、心臓が幾つあっても足りないような気がした。 帰途、荷物もあることだから飛行場迄はタクシーで行かなければならないが、流しのタクシーというものが見当たらない。駅のタクシー乗り場迄スーツケースをガラガラ引いて行くのも難だ。すると都合よくタクシーが2台、プレトリアの噴水の脇に止まっていた。そのうちの一人に名刺を頼むと、もう一人が文句を言って二人の言い合いになった。延々とやっている。スーツケースを持って戻って来ると、先刻の二人は居なくて、新顔が一人居たので値段を聞くと、€45だと言う。イタリア人は吹っかけるので、念のためアパートの持ち主に電話すると€20だと言う。今度は持ち主と運転手の言い合いになった。これも延々と続く。結局いくら払ったかって?飛行機に乗り遅れては困るので、€40で手を打ちました。 |
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<参考資料>
http://www2m.biglobe.ne.jp/ZenTech/world/kion/Italy/Temperature_of_Sicilia.htm
Exhibition “Sicily culture and conquest” 21.4-14.8.2016 at British Museum
Lecture “Multiculturalism in Norman and Hohenstaufen Sicily” at British Museum on 16.6.2016 by Jeremy Johns
www.vivonet.co.jp/rekisi/a06_jujigun/fede.html
https://ja.wikipedia.org
www.dreamstime.com
<参考資料>
http://www2m.biglobe.ne.jp/ZenTech/world/kion/Italy/Temperature_of_Sicilia.htm
Exhibition “Sicily culture and conquest” 21.4-14.8.2016 at British Museum
Lecture “Multiculturalism in Norman and Hohenstaufen Sicily” at British Museum on 16.6.2016 by Jeremy Johns
www.vivonet.co.jp/rekisi/a06_jujigun/fede.html
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