キプロス島を選んだ理由は、気候が良いからだけではない。車の運転が、日本及びイギリス同様左側なのだ。左側だろうが右側だろうが、要は慣れだとは思うものの、咄嗟の判断を誤るという事が無いとも限らない… という踏ん切りの悪さ、ないしは年の功(?)がキプロス島を選ばせたのである。
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キプロス島は四国の半分という小ささだが、さて何処に居を定めたものだろう。飛行場から遠くない方が良い。国際空港は四つあることになっている。ラルナカ(Larnaca)、パフォス(Paphos), エルジャン(Ercan)、そして首都のニコシア(Nicosia)。しかし最大規模を誇るニコシア航空は1974年にトルコが侵攻して激戦になった場所で、現在は国連の管轄下にあって公共には開かれていない。つまり実質三つ。そこで先ずはラルナカ (Larnaka) 近辺を検索してみた。しかし高い。そこで内陸部に範囲を広げてみた。素敵な山小屋風の家があった。テラスがあって、そこで昼寝をするのは気持ちが良さそうだ。山の上で、空気も美味しそうだ。
瀟洒なモダン建築のもあった。庭には緑がドッサリある … と写真を見て行って最後の写真まで来てギョッとした。雪景色なのだ。キプロス島に雪が降るとは知らなかった。Googleすると、「最高峰はオリンポス山で、標高 1,952 m 」と出て来た。しかし同時に「2月の平均気温は昼間で17度、夜は8度位」とも出て来た。それなら雪は降るまい, 2,000m級の山上でもなさそうだから。が、目前の写真には雪に覆われた風景が広がっていて、Googleの記述も雪国育ちの私の経験も否定している。避寒地を探しているのに、雪の降る、それが例え1年に1度の事であっても、そんな寒い所へわざわざ行く必要はない。止めよう。山は降りよう。飛行場は三つしかないので、ラルナカがダメで、山間は避けるとなると、残るは一つ、パフォス (Paphos)という事になる。海辺の街だ。 |
検索している時には知らなかった事だが、他の地は山に遮られるので日は山の端に沈む。しかしパフォスでだけは、海に夕日が沈む。これが滞在中どれ程私の目を楽しませたかは、言い尽くし難い。又パフォスはローマがキプロスの首府に定めた所なので、遺跡に事欠かない。これも私を楽しませてくれた要素だ。
https://en.wikipedia.org/wiki/List_of_airports_in_Cyprus
https://en.wikipedia.org/wiki/Nicosia_International_Airport
住居選び
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今回は Owners Direct というのが出てきた。家主が直接関与するということなのだろう。airbnb も家主が直接関与したのは同じだから、このダイレクトという意味は、第三者のサイト抜きという事なのだろう。気になる注意書きが目に入った。「直ぐに支払うな」。じゃあ、どうすれば良いのか。確実に家がそこにあるという確認の方法はあるのか。無いだろう。 クレジットカードが唯一の防衛策。しかし手付金もキャンセル料も不要という鷹揚な家主もあった。不用心なのか、用心不要なのか、どっちだろう?どっちも有りという事だろう。
前回は、海の見える住まいを諦めたので、今回は海の景色を条件に検索してみた。小さな島なのだから、何処からでも海が見えるだろう。したがって特に値段が高いという事もあるまいというのが私の算段。 心に残った家が2軒あった。 海の前に立つ二階家がその一つ。青い海がくっきりと背後に見える。もう一つは平家の一軒家で、青い海と白い壁と庭に咲くブーゲンビリアの濃いピンクが鮮やかなコントラストを成していた。庭も整っている。どっちにしよう?両方とも海があるなら、花もある方にしよう。「平屋」だ。 即座に返事が来た。家主はイギリス人で、持ち家が幾つもあって、結構手広くやっているらしい事が、返事に付いて来た広告で知れた。しかしクレジットカードは受け付けないと言う。「じゃあ、現金で到着時に払います」。相手は渋った様子だったが、同意した。又メールが来た。申し込み用紙に記入しろと言って来た。この時期、私の住まいの管理会社がゴタゴタしていて、私の手が空かなかった。すると詰問調子で催促が来た。そこで私も言い返した。「手が離せないから仕方が無い」と。そう打って、ふと、看板になっている写真の隅に目が行った。アレ、壁の後ろに道路がある。もう一軒、家もその背後にチラリと見える。そうしてみると、この家は海の前に建っているのではない事になる。じゃあ、平家のこの家から海が見えるのだろうか。そこで1行、「本当に海が見えるのですか」と書き添えた。すると、返事が無い。翌日も、翌々日も。そこで手が空くや、他の写真をもう1度丁寧に見て行った。オカシイ! パティオに椅子を置いてある写真はあるが、何故か横合いから撮ってあって、海は見えない。夕日が海に沈む写真も1枚あって、それは屋上からの眺めだと説明がついているが、暗過ぎて屋上がテラスになっているのかどうかは判断できない。矢の催促で用紙に記入しろと言ってきたのも、考えてみればオカシイ。手広くやっていてクレジットカードを受け付けないというのが、そもそもオカシイ。これでは「二階家」の方に変えた方が無難だ。どうせ迎えに出て来るのは雇人で、「海が見えないじゃないか」と文句を言っても埒が開くまい。持ち主は恐らく出て来ない。こういう場合の彼らの遣り口は、以前にも経験した。既成事実を作って、「じゃあ、帰る?」と来るのだ。帰りの飛行機は1ヶ月後にしか飛ばないから代わりの飛行機を見付けなければならない。それ迄はホテルに泊まらなければならない、ホテルは何処にあるのか、ちゃんとしたホテルなのか、… 面倒が数珠繋ぎになって押し寄せて、考えるだけで疲れてしまう。「じゃあ、もう良いことにしよう。海が見えないくらい我慢しよう」となる。ここが彼らの思うツボ。そんな手に乗るものか!急いで変えよう。が、「二階家」は無い。前後の家はあるのに、目指す家はリストから消えている。予約済みになってしまったのだ、私がゴタゴタしている間に。出発迄に後2日! 怒りはともかく、焦燥する本音も脇に置いて、一晩腹を据えて検索した上、翌日おもむろに電話で問い合わせた。バルコニーから海を見下ろすマンションだ。OK。少し高目だったが3週間に減らして、支払いもクレジットカードで済んだ。推薦のレンタカーも一寸高い。車は飛行場で借りよう。今回は2日で万端を整えた。ヤレヤレ、記録的短さだ。出発は2016年の2月7日。値段は£1,835(敷金£200込み。のち返金)。敷金を除いて日本円に換算すると¥258,330也。 早朝7時20分の飛行機だったので、到着は2時間の時間差を入れて午後1時40分。 マンションは、飛行場から車で15分だそうだ。道は海に沿って続く。道路標示はギリシャ語と英語。正直言って有難い。ギリシャ語だけならお手上げだった。それにしても、なんて綺麗な海だろう。予約したマンションは「アフロデイテの丘」と名付けられた広大なリゾートの中にあった。近くに「アフロデイテ生誕の地」というのがあって、命名はその地にちなんでいる。しかし正確に言えばアフロデイテは海で生まれているので、「地」ではない。でも、海は常時動くので、「ここ」と指し示す事が出来ない。だから岩を以って生誕の地としている。しかしもっと正確に言わせてもらえば、全部作り話だ … なんて言うと憎まれ口に聞こえる程、綺麗な海だ。美の女神がここで誕生した … と古代の人々に信じさせるに十分な程、いや今だに此の地を求めて世界中の人々に訪れさせ、夢見させる程、美しい。心が湧き立つ … というのは、こういうものを見た時に使う表現だろうか。我知らず、内から湧き上がって来る熱い感動 … 。輝く海。寸時寸時に千変万化して止まないその姿、美しい女、ならぬ神。男性諸君、女神に恋をしたら、その先には死しかありませんゾ。屹度、心得置き頂きたい。 |
アフロデイテ生誕の岩
門には守衛さんと一緒に出迎えの人が待っていて、彼の車に付いて長い長いドライブ・ウェイを登りきると、「町」があった。スーパー、レストランが数件、ジム、プール、ゴルフ・クラブにテニス・クラブ、不動産屋まであった。その背後にはホテルが構えていて、ここでは時々音楽会が催される。丘全体は地中海の木や石を配置して統一美でキメる。幾つかのマンションやヴィラが石塀に囲われて、あちこちに「村」を形成している。私のマンションは「テーセウス村」の中にあった。ギリシャ神話に登場する英雄の名だ。現在建設中のは「アレキサンダー・ハイツ」というから、その内全リゾートを征服するのかもしれない。ともあれ、これらを建造したのはキプロス人だが、それを最近買い取ったのはイギリス人。マンションやヴィラは、中国人が現金で買い占めて行くそうだ。住むためではない。ヨーロッパへの足掛かりとして買って、夏休みにやって来る観光客相手に貸しに出している。私が借りたマンションは個人の持ち物ではなく、数軒を所持して会社経営されているものだった。したがって、24時間の緊急連絡問い合わせ可、24時間体制の警備付き、掃除婦付き、洗濯物依頼可等々、至れり尽くせり、というか甘やかされ放題で、しかも、こんな隔離状態の所へ舞い降りてしまって後悔の念頻り。でも、でもダ、文句が口を突いて出て来る前に、息を呑んだ。居間のバルコニー全体に、美しい海が、光り輝いて身を延べて居たのだ。見惚れる、という言葉があったなあ、見惚れた。実に21日間、見惚れ続けた。ここに隠居所を買おうかな?
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キプロス島は税金天国。年間収入€17,000 (¥2,125,000 )迄無税。それ以上には5%の税金がかかるだけ。イギリスでは £10,000(¥1,580,000)近く迄は無税。以上 £43,000 迄は20%で、それ以上だと40%が課税される。これでは、一人の収入で平均的な4人家族が暮らして行くのは容易ではない。年金生活者がキプロス島に移住するのは気候が良いからだけではない。税金が軽いからだ。
リゾートの不動産屋を覗いてみた。いずれは何処か暖かい所に冬の住まいを買いたいと思っていたのだ。今後ボートで南仏、イタリア、ギリシャへと回るが、キプロス程の条件を揃えた場所はあるまい。税金については既に語った。車の運転も、何と言っても左側で慣れている。それに英語が通じる。 目端の利く30代のキプロス人の男性が出て来た。彼は色々教えてくれた。彼曰く「キプロスの気候は晴天の日が300日。」「じゃあ、夏には水不足になるでしょう? ギリシャみたいに。」と私。「全然。オリンポス山の雪が溶けて、それをダムに貯水するから。」「避難民がキプロスにも押し寄せて来ているでしょう?」「全然。彼らは将来性を求めているから、大国を目指す。キプロスは素通り。」成る程ね。「で、二つ寝室があるマンションはお幾らぐらい?」「目下建設中で、1ヶ月後に完成予定のは€350,000(¥43,750,000)。これは近くて便利。クラブにもスーパーにも歩いて行ける。ただ一寸小さ目」。「広々としたのが良いなら、2ヶ月後 に予約受付を始めて今年中に完成予定のが€400,000 (¥50,000,000)。これはヒーターも埋め込み式で、床は大理石」。「中古なら €250,000(¥31,250,000)以下にもなるのが一つある。最初に建てたブロックにあって、地下に物置がある。家具付き」。持ち主はドイツ人で、アフリカから持ち帰ったらしい家具や置き物が目に入った。「ローンを組むなら、頭金は4割。キプロス銀行が一手引き受け」。キプロス銀行が10%の株主だそうだ。銀行にも予約を入れた。「ローンを組めるのは58歳まで。月々の支払いは収入の30%迄が限度」。つまり私の場合なら、私が頭金を出して娘がローンを支払って行くという形が可能。リゾートにある貸家斡旋業者にも会った。「夏場の6ヶ月間だけ貸しに出せば、18週間から22週間まで予約が入る。私どもが全てを引き受けます。値段は月にもよるので平均1晩€70(¥8,750)として、純益は50%」。控えめに見積もって€8,820(¥1,102,500)の収入。課税無し。飛びつく程の利殖ではないが、冬場の住まいが欲しくて夏は貸しに出しても良いなら、リゾートの管理費年€2,000や2年毎の窓枠の塗り替え、ゴルフやテニス・クラブの会員費等の維持費ぐらいは賄える。そして30年後には娘の持ち物になり、その時私はこの世にいない。相続税も無し。まあ、1案ではある。 _____________________________________ <脚注> 換金レート €1=¥125 £1=¥158 £1=€1,27 (27.2.2016 執筆現在) |
気候
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真冬のポルトガルに夏服を持って行って娘に呆れられたので、今回は持って来なかった。が、暖かい、いや、暑い位だ。Googleでは18度と出して来るが、実際には20度を超える。コットンのシャツの長袖をたくし上げても、すっきりしない。第一ズボンでは何と言っても暑苦しい。ショートパンツが欲しい。世話役の人が「ここのスーパーは高いから買うな」と言い置いて行った。確かに高い。カンパリ1本が€20。隣の村に行けば €14。クラブに行けばテニスやゴルフの衣類を売っているが、高いだろうなあ。でも、パフォスの何処に行けば衣類が買えるのか未だ知らない。仕方がないからクラブに行って、ショートパンツが欲しいと言った。すると売り子さんが見せてくれたショーツの値札を見て思わず、そしてハシタナクモ、叫んでしまった。だってショーツに€115(¥14,375)の値が付いていたのだ。冗談ではない。すると売り子さんは店中走り回って色々見つけて来てくれた。全部値下げ品。ショーツと袖なしのシャツで計€85(¥10,625)。安くはない。でも悲鳴をあげる程でもない。シャツにはリゾートの名前が刺繍してある。リゾートの宣伝をさせられるわけだ。でも背に腹は代えられない。さすがに品が良い。作りも丁寧に縫ってある。まあ良いか。ところで真冬でこんなに暖かいなら、真夏は何度位になるのだろうと思って売り子さんに聞いてみると、「40度以上」という返事。「でも私達ちゃんと生き延びてる」と言って笑った。40度以上の酷暑の中に、私が払った2倍から、物件にもよるが、呆れ果てる金額を払って夏休みを過ごしに来る人達で、ここは賑わうのか。不思議だ。私には飛んで火に入る夏の虫達に思える。
着いた日の翌日、目覚めると曇り空。残る65日の雨降りになるのかな?なった、ただし10分。雹が降ったこともあった。これも10分。10分でも雨が降れば雨降りの日として数えるのかな?いずれにしても、長泣きはしない空のようだ。これで水不足にならないのか?調べてみると、いや、なっているのだ。実は深刻な水不足のために貯水池は涸れ、地下水も涸れ、50%の木が枯れて、キプロス島は将来アブ・ダビのような砂漠地帯に変じるだろうという予想さえ出ている。対策として1990年代から海水の淡水化を図って、現在消費される飲料水の殆どは脱塩工場から送られて来るのだそうだ。科学技術の進歩に感謝したい。不動産屋の某氏は商売上この事実を隠したのか、まさか小学校で習った自国の用水事情をアップデートしていない訳でもあるまいに。ともあれ、真冬でも夏服で過ごせて、真夏は酷暑になるのに、山間には雪が積もるという稀有な事実を見学しないという法はない。6,000mに近いキリマンジェロには登れなくとも、2,000m弱のオリンポス山踏破は試みよう。登山靴こそ持参しなかったが、衣類は十分。毛糸の帽子は無いが、手袋はある。お弁当を作って、水も持って、遭難時の用意にチョコレートも持って、行ける所まで行こう。 キプロスに来て感心したのは、舗装道路が完備している事だ。お陰で飛行場迄は15分、パフォス迄はその倍の距離だが、高速に乗って100kmで飛ばせるので、これ又15分。国道のA線にはさすがに走っている車があるが、B線になると空っぽで、町や村に入る脇道等、猫も通らないのに舗装してある。オリンポス山への道然り。一体何合目迄車で行けるのかと思いながらオリンポス山の博物館迄来て館員の人に「ここは標高何メートルですか」と聞くと、「1900メートルです」と言われた。すると後50m登ればいいわけだ。ただし通行止めになっていた。とんだ空振りだった。衣服も、いつものコットンの長袖をたくし上げてウインドブレーカーを羽織っただけで丁度いい。雪?確かに所々に残雪があった。思いなしか、空気も心持ち冷んやりとしていた。しかしこんな程度の残雪が溶けたって、池の金魚を飼うのにも足りるかどうか。 |
パフォスの街は文化都市を目指して、現在街中が道路工事でごった返している。文化都市の名に相応しい様相を整えるには、先ずは砂塵に塗れなければならないものらしい。その上至る所で通行止めがあり、一方通行になり、穴が口を開け、行っては返し、又戻り、容易なことでは目的地に着けない。ただし、遺跡のあるカトー・パフォス(Kato Paphos)に向かう港に沿った通りだけは、観光客が行く所だからだろう、既に整備されて洒落た街並みになってレストランが軒を並べている。
地勢
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美しい海に囲まれて、岩浜あり、遠浅あり、平地も広がり、それが高地によって風から守られ、作物が良く育つ。キプロスの東南パフォス近辺は全てに於いて備わっているようなのだが、一つだけ気懸りなことがあった。オリンポス山に登った際、地盤が相当に脆いらしいのが見て取れたのである。地質学論文を散見したが、要するに地質学的に興味深い地域であるということは分かったが、私が知りたいのは、大丈夫だろうか?と本気で心配になる程の地盤の脆さについての情報なのだ。論文の一つには、木も疎らで地層が露出しているので都合が良いようなことが書いてあった。研究者としてはそうだろう。しかし地元の苦労はまた別である。かなり急な山の斜面に、丹念に1〜2m幅の狭い段々畑の様な段を造って植林していた。地崩れを防ぐためだろう。ちょっとやそっとの規模ではない。トロードスという山岳地帯の頂上付近全てといった規模だ。人々が生活を守るためにする努力は無限であることを目の当たりにした思いだった。気候に恵まれ、しかも沃土だが、用水事情といい、この地盤の脆さといい、天は全てを与えないらしい。
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歴史
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キプロス島の歴史を語るのは、二重の意味で容易ではない。一つには支配者が目まぐるしく移り変わっているからだ。もう一つには、同時にと言って良いのかもしれないが、住民にとって並大抵の経緯ではなかったろうと想像されるからだ。地中海の東寄りに位置して、東西を結ぶ格好の中継点となる地理的条件がこの島の不幸であったろう。ざっと数え挙げただけでもアッシリア、ペルシャ、ギリシャ、ローマ、東ローマ、リュジニャン(仏)、ヴェネツィア(伊)、オスマン・トルコ、イギリス、他にもエジプトのプトレマイオス王朝の支配下にあった事もあり、アレキサンダー王にも征服され、現在に於いてすらギリシャ側とトルコ側に分断されている。高速を飛ばして首都のニコシアを訪れた私の唯一の目的は、ニコシアの分断状態を目撃する事だった。それでもギリシャとローマは遺跡を残して現在のキプロス人に観光旅行者を集めるという利をもたらしているが、他の支配者はどんな遺産を残したのだろう。歴史家でもない私がこんな複雑な国の歴史を語る事など出来るわけはないので、ここでは其々の支配者が残した現存する遺産に焦点を置きたい。否それさえ、私の即席調査では大した事は見えて来ない。そこで私の足元に、言い換えれば印象や経験に限定しよう。そうすると幾つかの事実が挙げられる。
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先ずはギリシャ・ローマの遺跡。私は三つしか訪れなかったが、テーマを決めて、しかも時代も決めて見て歩くのでなければ、頭が混乱錯綜する程ある。例えばローマの遺産と言っても、古代ローマとビザンチン文化を栄えさせた東ローマでは、そのローマ振りが違う。 又古代のギリシャ及びローマはイッショクタにしなければならない程、二つは混淆している。それもこれも皆集めれば、見切れない程ある有難い遺産だ。何しろ、お断りしたくなる程観光客が見に来てくれる、金の生る木なのだ。したがって良く保存してある。所によっては石ころと穴ばかり… だと言いたい位のもの迄、丁寧に保存してある。しかし入場料は1ユーロ半とか高くても4ユーロ半だったので、文句を言う気はサラサラ無い。ところでアフロデイテの遺跡(sanctuary of Aphrodite)には『レダと白鳥』のモザイク画があるが、ここも入場料は確か1〜2ユーロの安さだったと記憶する。写真では到底見えない微妙な美しさに圧倒されて、暫し見つめたことだった。たまたま横で床職人が床のタイルをガンガン叩いたり、その細い粉塵を箒で掃いて粉塵を舞い上げたりしていなければ、もっと良かったことだろう。
リマソール港を臨む。巨大なタンカーが3隻停泊しているのが見える。
次はリマソール(Limassol)。港の大きさに感嘆した。さすがに古の地中海貿易の中継点だ、と思ったことだ。しかし資料を読んでいくと、そうではない。実は、12世紀迄は市場が立つだけの小さな町だったとあった。15世紀には海賊の隠れ場所として繁盛し、オコボレに預かって財産を築いたキプロス人が沢山いて、強奪の対象はイスラム教徒だったので、業を煮やしたエジプトが出兵して王を生け捕りにして連れ帰ったともあった。その後は哀れだ。ヴェネツィア人が来て税金を取り、資源を取り、人々を奴隷にし、城も壊し、と惨憺たるもの。16世紀になると、オスマン・トルコの支配下に入り、トルコ人とギリシャ人が其々の地域に住まいを築き、ギリシャ人は学校も建て、と小康を得たようだが、そうではない。駐在のパシャ達が私利私欲のために重税をかけてキプロス人を抑圧したからだ。現在の港の姿は18世紀後半に、イギリス人がその地の利に着眼して港の整備拡大に至った結果らしい。「道路は掃き清められて整備された。木々が植えられ、街の中心部からは野生動物が一掃された。ドックが築かれた。街路には瓦斯灯が点いた。郵便局が出来、電報が遣り取りされ、病院も施設された。1880年代には、初めて印刷所が出来、新聞が刷られ … 」(World Port Source)一体これは誰が書いた記述だろう?イギリス人に違いないと、勘ぐるのは私の根性が曲がっているのか。まるでイギリスが救い主の近代版みたいな書きようだ。 だが他の資料にも(日本人記述)同じような事が簡単だが書いてあったので、根も葉も無い事ではなさそうだ。そこには第二次大戦にキプロス島民が3万人もイギリスについて参戦したとあるから、キプロス人はイギリスに感謝するところがあったのだろう。
又しても首都の位置に拘るのだが、内陸にあるのだ。その方がどの地にも公平に行けて都合が良かったからではないと思うのだ。ニコシア(ギリシャ語ではレフコシア: Lefkosia)が首都になったのは10世紀だ。しかし交通の便が良くなったのは、19世紀後半になってからだからだ。何故内陸なのか。ウィキペディアにひょんな記述があった。「パフォスやサラミスなど海岸線にある都市からの避難民で、この内陸都市の人口が増す」。何故避難しなければならなかったのかは書いていない。しかし他の資料を見ていると、 7 世紀から9世紀にかけて、アラブ人の海賊に襲撃されて島民は内陸に移住したという記述があった。海賊はその名に相応しく海辺に留まって、内陸迄は追いかけて来なかったのだろう。不便でも、否それだからこそ内陸がより安全だった事が想像できる。ところでレフコシアという名前だが、これはプトレマイオス1世の息子のレフコスが街を再建したことにちなむ。がレフコシアも、イギリス人が来てから今日のように発展したのだそうだ。確かに道路さえ完備すれば、小さい島だから内陸だろうが山中だろうが 簡単に往来できる。ここでもイギリスに凱歌が上がるのか、それとも基礎を作ったレフコスのプトレマイオス王朝にだろうか。首都に車を飛ばしながら、Nで始まるニコシア(英語名)の名を追っていたのに、一箇所だけLで始まるレフコシア(ギリシャ語)としか書いていない標識があって、慌てた。どっちかに決めて欲しいところだ。
道路が整備されている事は前述した。猫も通らないような脇道すら、標高1900mの高み迄、立派に舗装されている。これが大英帝国の遺産であるらしいのも書いた。お陰で、おまけに英語も普及している。観光客の中でギリシャ語やトルコ語を知らない人は多いだろうが、英語なら誰でも分かる。これも遺産の一つかもしれない。
こうして見ると、現代のキプロス人に価値ある遺産を残したのは、ギリシャ・ローマと大英帝国ということになる。異論があれば、ご教示願いたい。(2022年5月、英紙『ザ・ガーデイアン』に大英帝国の統治者が、独立を願うキプロス人を拷問・虐殺していたことを報じていた。)
又しても首都の位置に拘るのだが、内陸にあるのだ。その方がどの地にも公平に行けて都合が良かったからではないと思うのだ。ニコシア(ギリシャ語ではレフコシア: Lefkosia)が首都になったのは10世紀だ。しかし交通の便が良くなったのは、19世紀後半になってからだからだ。何故内陸なのか。ウィキペディアにひょんな記述があった。「パフォスやサラミスなど海岸線にある都市からの避難民で、この内陸都市の人口が増す」。何故避難しなければならなかったのかは書いていない。しかし他の資料を見ていると、 7 世紀から9世紀にかけて、アラブ人の海賊に襲撃されて島民は内陸に移住したという記述があった。海賊はその名に相応しく海辺に留まって、内陸迄は追いかけて来なかったのだろう。不便でも、否それだからこそ内陸がより安全だった事が想像できる。ところでレフコシアという名前だが、これはプトレマイオス1世の息子のレフコスが街を再建したことにちなむ。がレフコシアも、イギリス人が来てから今日のように発展したのだそうだ。確かに道路さえ完備すれば、小さい島だから内陸だろうが山中だろうが 簡単に往来できる。ここでもイギリスに凱歌が上がるのか、それとも基礎を作ったレフコスのプトレマイオス王朝にだろうか。首都に車を飛ばしながら、Nで始まるニコシア(英語名)の名を追っていたのに、一箇所だけLで始まるレフコシア(ギリシャ語)としか書いていない標識があって、慌てた。どっちかに決めて欲しいところだ。
道路が整備されている事は前述した。猫も通らないような脇道すら、標高1900mの高み迄、立派に舗装されている。これが大英帝国の遺産であるらしいのも書いた。お陰で、おまけに英語も普及している。観光客の中でギリシャ語やトルコ語を知らない人は多いだろうが、英語なら誰でも分かる。これも遺産の一つかもしれない。
こうして見ると、現代のキプロス人に価値ある遺産を残したのは、ギリシャ・ローマと大英帝国ということになる。異論があれば、ご教示願いたい。(2022年5月、英紙『ザ・ガーデイアン』に大英帝国の統治者が、独立を願うキプロス人を拷問・虐殺していたことを報じていた。)
現状
日本にいる時からキプロス産のサクランボウは知っていた。真紅の大きな硬めの実で、酸味というものがなかった。子供達が小さい時、クレタ島に1ヶ月を過ごしたことがあった。2歳の娘が両手で大きな桃を持って噛り付いた。果汁をたっぷり含んだ桃だった。小さな手で持っていたから大きく見えた訳ではない。本当に大きかった。キプロス産。ロンドン郊外のスーパーで売っているジャガイモの中で、イギリス産のジャガイモの2倍の値段のものがある。色も濃い褐色で一際目立つ。キプロス産。あのジャガイモの濃い褐色はキプロスの土の色だったことが、来てみて分かった。余程地味が肥えているのだろう、野菜や果物がこんなに良く育つのだから。
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オリンポス山を訪れた帰り、道に迷った。行けども行けども海が見えて来ない。曲がりくねった幅の狭い道を恐る恐る運転していくと、広々とした果樹園が山懐に開けていた。満開の花。サクランボウでもリンゴでもない。車を止めて、果樹園に差し掛かったところで、初老の男性が現れた。「あれは皆アーモンドさ」とその人は言った。『桃源郷』の話が脳裏に浮かんだ。ここに2度と来ることはあるまい。地図に無い村なのだ。何を隠そう、地図が実にお粗末で、何も書き込んでいない有様なのだ。しかし何と静かな土地だろう。羽虫の羽音が聞こえるようだ。花びらが微風に吹かれて震える音が、聞こえて来そうだ。
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物価
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