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海辺に近い広場の石畳。カスカイス

​定年後をどうやって暮らそうか、と思案している方々へ

避寒地 その1 ポルトガルのカスカイス(Cascais)
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オウムの絵とテーブル
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台所の黒板と「物干し」

​住居選び

​何百も並ぶ物件を全部見る暇人は居ないだろうなあと思いながら、200件ぐらい見たところで止め、ハテ住んで見たい家はあったかな?と考えた。
 
あったかな?どころではない、とても素敵に設えたマンションがあったのだ。思わず息を飲んだ、と書いたら大袈裟に響くだろうが、居間らしい部屋の壁に、緑の葉を背景に2羽の白いオウムを描いた大きめの絵が掛けてあって、その前に、マホガニー材らしいアンテイークの置物用のテーブルがある。その上に壺とディカンターとグラスが二つ盆に載せて置いてある。ディカンターには深紅の液が入っている。もちろんポートに違いない。絵は安物のプリントかもしれない。ディカンターも只のガラスで、カットグラスではない。グラスも同様。壺はスーパーあたりで買った二束三文の品みたいだ。が、取り合わせに趣が感じられる。寝室には、速筆で辿った都会人の道行く様を図案化したスクリーンが、カーテン代わりに掛かっている。これにも趣味が感じられる。かと思うと台所には、赤いガラス製の食卓の横に、大きな黒板が掛かっていて、”We love sardines” と書いてある。何の事かお解りの方もあるだろうが、ポルトガルのレストランには鰯の塩焼きが必ずある。名物らしい。その黒板を横断する形で針金が、物干し綱まがいに渡してあって、色とりどりの小さい物干しバサミでメモがたくさん「干し」てある。何処のレストランが美味しいか、何処は欠かさず行くべきか、といった観光案内である。ハハーン。主人は女人(にょにん)に違いない。だって男はこういう細かい事はしないし、気付かない。(男性諸君、怒るなかれ。だって君たちはそうなのだ。)
 
イヤイヤ惚れ込んではいけない。惚れ込む、これ即ち理性を失う事也。他にはどんなのがあったっけ?居間に続くベランダいっぱいに海が広がる、モダンなマンションがあった。2件同じようなものが同じ持ち主の名前で掲載されているので、この人達が副収入のためにやっている事は見て取れる。家具も過不足なく並べてある。慣れている。まるでホテル。無個性。でも、安全ではあろう。つまり、電灯が点かないとか、洗濯機にガタが来ているとかいうことはあるまい。何よりベランダから海が見渡せる。これ、魅力。
もう一つ、心惹かれる物件があった。三つ寝室がある一軒家で、庭も小さくはない。心惹かれる理由は、ポルトガル風の造りにある。それを持ち主も心得ていて、というか看板にしていて、階段に使っているタイルやら、真鍮の古式豊かなドアの取っ手やらを、一々ズームで撮って掲載しているのだ。居間の設えも悪くはないが、その外に広がる庭からは、手入れが行き届いているという印象は得難い。写真を撮る前に芝を刈ることを考えなかったのだろうか。そういう人は、男としては飾り気が無くて鷹揚ですらあるのかもしれないが、一方写真の撮り方を考えると、思い込みの強い、したがって一方的な見方に偏る人かもしれない …。とすれば、家のあちこち庭の隅々に不備があって、掃除も長年行き届かず、家具の下、額の裏など埃が束になって架かっているのも、在り得ない事ではない。冬でも暖かい土地柄ではあり、したがって毎年必ず黴菌が寒さで死に絶える事も無いとすれば、想像するだけで寒気がする。ヤメテオコー。
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カスカイスのマリーナ
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食卓とその向こうに玄関脇の事務用デスクが見える
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寝室の窓からの眺め。ヤギの群れが日によって放し飼いになる。
では、「趣味」にしようか、「海」(オヤ、韻を踏みますね)にしようか。チョット待て。すでに予約済みということもある。先ずは持ち主に問い合わせる事の方が先ではないか。もしどちらかが予約済みなら、空いている方を取ればいい。でも、もしも両方が空いていれば、同じ問いに舞い戻る。やはり優先順位を決めておくべき。「趣味」も「海」も私の感覚に訴える要素だから、これは幾ら思案しても、というより迷っても決まるまい。ここは矢張り経済性で決めるべき。値段で計ると、「海」は「趣味」より50%高。これでは「海」を諦めるのが賢明というもの。が、もし「趣味」が予約済みなら、少々高目の「海」にするしかない、という口実ができる。こういう時は、他で倹約の方法を考える事だ。だって残る時間には、限りがあるのだ(有り金にも限りがあるが…)。そこで出発までに後1週間というところで万端整い、無事出発。時は2015年12月13日の日曜日。

​
そして着いた所は、件の「趣味」良き設えのマンション。駅からマーケット広場を突っ切って、急な石段を30段ほど登った高台にあった。ちなみに値段は3週間サイト使用料込み で£1,646、 日本円に換算すれば¥260,568也。持ち主はブラジルに赴任中、自宅を貸しに出している「女人」なり。

気候
 
リスボンは北緯38度に位置し、日本では仙台の辺り。ただしメキシコ湾流の影響で、冬でも昼間なら18度、夜でも10度位で温暖。長袖のTシャツにウインドブレイカーを羽織れば大丈夫。
 
でも、これは基本。実際には多少のブレがある。*シントラ を訪れた日は晴天の暖かい日だったのに、標高500メートルの高さが災いして、ウィンドブレイカーしか羽織っていない私は寒さに震え、同伴した娘はちゃんとオーバーを着てマフラーまでしていたので平気、という事もあった。夜も然り。寒いと感じる日は何日も無かったけれど、2015年のクリスマス前後の数日は、ウソ寒い日がタマタマ続いて娘がしきりに寒いと騒ぐ。
 
見渡せば、マンションには暖房設備は居間の暖炉しかない。あんなものは飾りだと思っていたのに、あれを使うしかないのかナ?世話係の人に電話で、「あの暖炉は使ってもいいのですか?」と半分期待(即座にやって来て、どうやって火を点けるのかやって見せてくれる)をかけて聞いてみると、「ええ、もちろん。どうぞ、どうぞ」。「あ、そう …」。わたしの期待が実現する気配はない。薪ストーブはどうやって火を点けるんだっけと、半世紀以上も前に北海道の実家で母がやっていた様子をそぞろ思い返していると、娘がセッセと新聞紙を捻り、バーベキュー用の点火物も持ってきて、暖炉の側に積んであった薪を組んで、その下に捻り新聞紙と点火物を差し込んでマッチを擦った。火は勢いよく燃え上がり、ひとしきり暖炉のドアを閉めて、ドアの下にある風通し口を開けておくと、薪にも火が移って、ほのぼのとした温かみが広がった。感心した。いえ、自然の法則に感心したのではなく、娘の知識と手際に感心したのです。あのゴンタ娘が、何時こんな事を学んだのだろうと。いえ、娘も既に2歳ではなく32歳になっているので、親の知らない所で色々学んでいるのだろう…。
 
要は重ね着が出来るものを何枚か持って行き、暖かければ1枚で過ごし、寒さに応じて2枚3枚と重ねていけば良いだろう。ショートパンツも1枚持って行った方が良い。暖かい日は、ベランダで日向ぼっこが出来るのだから。
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*シントラ(Sintra):山地の傾斜を利用して六つの城が峨峨として立つ、ポルトガルの観光名所。自然博物館も隣接。
 
地勢
 
リスボンの街に出た。飛行場からの地下鉄で乗り合わせたスイス人が、 すでに6回目の訪問だと言っていた。リスボンの何処がそんなに気に入ったのかと聞いたら、 Baixa Chiado (なんと発音するのか知らない。その人も地図を開いて指差した)と即答。何があるのかと重ねて聞くと、カフェやレストランがある、という答え。そんなものはスイスにも沢山あるじゃないかと思ったが、もちろん、それは言わなかった。
 
他に当ては無かったので、まあ、そこで降りてみた。地下鉄を出ると、確かにカフェがあった。ただしポツンと一つ。通りも、歩いてみようという気になる類のものではなかった。反対側かな?そこで反対側とおぼしき道に回ると、石段が結構な急傾斜で屹立している。こんな石段は、老人や子供には登れまい。第一転んだら最後、下まで転がり続けるだろう、何でこんな危ないものを造るのだろう… と思いながら反対側に出た。広い通りが5度位の傾斜で上り坂になっている。 車は締め出しているらしく、カフェやレストランが通りの中程まで迫り出して、テーブルや椅子を並べている。古本屋がある。18世紀出版のものまで売っている。カフェは店内にお菓子やペイストリーを、ズラリと並べている。大道楽師(だいどうがくし)が演奏している。繁華だ。何より心浮き立つ雰囲気。ああ、そうか、そういうことか。生真面目なスイス人には、ちょっと無い浮かれ気分。私もカフェの一つに席をとって、演奏を聴きながら、道行く人を眺める。それにしてもダ、テーブルや椅子を並べるために、傾斜のある石畳の上に木でデッキを組んで、その上に席を作っている。傾斜のある所はこうでもしなければ仕方がないのだろうが…。しかし、傾斜は上がったり下がったり、何処迄も続く。いたる所にある。いや、平らな所が無い。その上を、路面電車が頻りに通る。かなりのスピード。傾斜は所によっては、30度位にもなる。もっともあんまり急な所はケーブルカーが運行している。山国のスイスだって、こんな事は無い。ケーブルカーは山に登る時の乗り物だ。首都のド真ん中で乗る物ではない。何でこんな平たい所がまるで無い不都合な土地に首都を定めたのだろう。しかし、考えてみればカスカイスも傾斜が多い。一体ポルトガルの地勢は、どういったものなのか。地図帳のコンターライン付きのページを思い描いたが、私の記憶は白地図ドーゼンの役立たず。そこで、地学博物館(というのがあった)に行ってみた。
 
つつましい入り口に反して、展示品は結構豊富だった。しかし皆ジュラ紀のもの。他の部屋には鉱物の展示品ばかり。が、私が知りたいのは地勢なのだ。何故こんな坂ばかりの土地に首都を置いたのか。人類は常に平地に都市を築いて来たではないか。それで受付の人に聞いてみると、その人は英語が苦手らしく、電話で他の人を呼び出してくれた。やって来たのはどうやら専門家らしくて恐縮したが、折角だから聞いてみた。すると、あんまり分かりきった事を聞かれてその人は驚いたらしく、「リスボンは天然の港じゃないですか。ポルトガルの何処に、これ程格好の土地がありますか」と言って、私をポルトガル全土の模型が展示されている場所に連れて行った。そこで私が気付いたのは、視点の違いだった。私の視点はあくまで陸地にあったが、つまり何処が住み易い土地かを探していたが、彼らの視点は、海から入って来るには何処が都合が良いかにあり、海からの視点で住処を定めたのだ。確かに大西洋の荒波から陸地を目指すなら、波砕け散る岩場は危ない。遠浅はダメでは無いが、小舟で陸揚げする手間が要る。そもそも遠浅の浜辺は、ポルトガルには無い。だから出来れば深目の湾が良い。さらに望むなら、深い川が海に流れ込んでいる所が良い。川を上って波の脅威から逃れた所で、おもむろに河岸に船着けできるからだ。その点リスボンは、ポルトガル最大の河川であるテージョ河が、スペインに源を発してポルトガルを東西に横断し、その河口は巨大な入り江を成して海に流れ込んでいる。こんな良港は又と無い。坂が多い地勢など、大洋の脅威に比べれば物の数ではない。眼から鱗が落ちにけり。
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メキシコ湾流
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シントラの山上に立つペナパレス
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居間の暖炉が燃えるクリスマス・イヴの夜
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リスボンの広場の一つ。傾斜は5度位?
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同上の広場に路面電車の線路が走る。
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リスボン市内を上下するケーブルカー。上から見ると大した傾斜に見えないが、下から見ると!!! 登るの、これ?
これは海を盾に鎖国をして閉じ籠った日本人と、大航海時代を率先したポルトガル人との、違いだと言えようか。
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リスボンの見晴台。向かい側の丘に王宮を臨む。
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王宮の立つ丘から市街を見下ろす。
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王宮からテージョ河を見下ろす。
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テージョ川の畔。ここだけは平たい「海岸平野」。
歴史
 
ジュラ紀の展示物云々を前項で述べたが、ポルトガルの先史時代はそれ程長いらしい。が、ここでは先史も原始も飛び越えて、ついでに古代も端折って、中世辺りから眺めるのが このサイトの主旨に沿う。それも極大雑把に。
 
イベリア半島は、ローマが追い散らされた後ゴート族の支配を経てイスラム勢力下に入り、ポルトガル王国は12世紀になって初めて成立する。キリスト教が浸透し、それでいてイスラム文化の名残がある所以(ゆえん)は、こうした経緯による。でもヨーロッパ全域がそうだったではないか、それなのに何故イベリア半島だけにイスラムの名残があるのだろう?と私は不思議に思う。一つにはヨーロッパ大陸(半島では無い)の人々が、ピレネー山脈以南はアフリカだと見做して辺境地扱いし、進歩から取り残されたからだろう、というのがある。その真偽は、私は歴史家ではないので知らない。しかし実際的に考えて、交通機関が無きに等しかった時代は、ピレネー山脈は人々の往来を阻んだだろう。確かにハンニバルは、ピレネーはおろかアルプスも越えてローマに侵攻した。しかも軍勢に加えてアフリカ象を40 頭も引き連れて。だが、あれはハンニバルだったから 出来た事だ。常人の技では無い。話が逸れたが、ともあれ王国は些かの経緯を経て、やがて前人未踏の大航海時代を切り拓く。マゼランの名を教わったのは、小学校の時だったろうか、それとも中学に入ってからだったろうか。記憶が怪しいが、日本人の子供で、彼の名を知らない子はいない。「ヴァスコ・ダ・グァマが喜望峰を回ってインド航路を発見し、さらにマゼランが世界一周に成功し、コロンブスはポルトガル国王から援助を得てアメリカ大陸を発見し…」と教科書にあった。15世紀にポルトガルが成した偉業は、世界史を作り変えた。スペインがそれに続き、しかし17世紀初頭にイギリスがスペインの無敵艦隊を撃退してから後は、イギリスにその地位を譲る。何故イギリスが優位に立てたかという理由だが、スペインを破った時のイギリス船の造りが、一段と効率的になっていたという説明を近年*BBC のテレビ番組で聞いた。やはり真の理由は専門家にその判断を任せるとして、しかしポルトガルが第1位の地位を退いたのは事実だ。
 
18 世紀に入ると、イギリスでは産業革命が始まる。フランスでは市民革命が起き、次にナポレオンが台頭して19世紀初頭にかけてヨーロッパ大陸を席巻するが、10年後に失脚し、翌年返り咲き、という混乱を経験する。ナポレオンの影響はポルトガルにも及ぶ。ポルトガルがナポレオンに賛同しなかったからである。その結果ポルトガルは1807年からの15年間を、植民地のブラジルに首都を置くことになる。ナポレオンの影響は、これに留まらない。彼の「自由への推奨」は、植民地に独立への気運を生んだからである。かくしてポルトガルはブラジルを含む植民地を失う。しかし、それは第二次大戦後のイギリスもそうだった。

何故イギリスは「斜陽」と言われながらも一等国の地位を保持し、イベリア半島のスペインとポルトガルはそうならなかったのかという点は、後日の勉強課題に残して置こう。あるいは何方か御教示下さる方が、あるかもしれない。

*BBC:British Broadcasting Cooperation. 英国の全国放送局。日本のNHKに相当する。

現状
 
リスボンは素敵な街だ。古式豊かで、それでいてモダンだ。重厚な建物の、重い扉を気後れしながら押して入ると、心踊る程洒落た今風の店が並んでいた。2階は回り廊下になっていて色々な店が入っていたが、手摺から下を見下ろすと、20m四方位の中庭の様な空間があって、モロッコの*リアド風の造りになっている。その「中庭」が、ヌーボー・クイジーンのレストランになっていた。外に出ると、街の広場にはブティーク、コーヒーショップ、銀細工の店等が高級感を漂わせて所狭しと立ち並ぶ。私はガラス製品の店に入って、ディカンターとクリスタル・グラスを買ってしまった。
 
とは言え、経済は数字で見るべし。日本内閣府の発表によると、ポルトガルの 経済成長率は13年4月以降プラスに転じ、「明るい動きがみられる」としている。ただしスペインやポルトガルの輸出が大幅に回復したのは、EU各国の単位労働コストが「特にスペイン、ポルトガルで低下」したからであるとする。「他方、輸出にあまり強さの見られないフランスやイタリアでは単位労働コストが上昇し続けている」。つまりスペインやポルトガルでは、人員削減や賃金引き下げが行われたという事だ。これに加えて、年金調整も予定されている。他方、融資の方には未だ緩慢な動きしか見られない。日本外務省では、 ポルトガルの物価上昇率はIMF によると、2012年の 2.1% から 2014 年には -0.5% とデフレ気味になり、しかし 2015 年には0.2% と落ち着きの方向に向かうと予測している。失業率は、2012 年の 15.5% から、2014 年には 13.9% に減り、さらに 2015 年には 13.1% にまで減ると予測している。要は、国民が低賃金を呑むことによって輸出を支え且つ失業率も減少させ、国民が倹約をすることによってインフレを抑えているという図が浮かび上がってくる。涙ぐましい。せいぜい金のある外国人が観光に来て、落とせるだけ金を落として行って欲しいというところだろう。
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​*
 リアド (Ryad/Riad) :モロッコの伝統的な建築様式の一つ。リアドはアラビア語で庭のこと。中庭を囲むようにして数階から成る建物で、裕福な人々が住まいにした。

物価
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​「その地の人々の生活を知るには、市場へ行くのが良い」と書いていたのは、色川大吉だったろうか。誰が書いたにしろ、その通りだと思う。人々が日々何を食べ、何を着ているかが一目瞭然に分かるからだ。
Picture市場のチーズ屋。左側の四角いものはベーコン。
​市場の人は、概ね英語は解さない。でも買い物に不自由はしない。欲しいものを指差せば、相手は紙に数字を書いて寄越す。それでオーケー。ただし若い世代には、結構英語が通じる。そこで若い女の売り子さんを捕まえて、並べられたチーズについて多少尋ねた。匂いの強いもの、それ程でもないもの、まろ味のあるもの、塩味の強いもの等。そうして聞いて行って、とても柔らかい、殆どふにゃふにゃしていると言っても良いような包みを指すと、「羊のチーズ」という答え。「え、牛が普通。山羊のもある。でも羊のチーズなんてあるの?翻訳違いじゃない?」って顔を私がしたのだろう。やおら奥へ入って持って来たのは、対訳一覧表。動物の絵が縦に並べてあって、横には数カ国語が並んで、その下には各々の訳語があった。そこで私も納得、相手は満足。商売の努力というのは、こういう風にするものだ。ところで、そのチーズは美味しかったのか?あんまり記憶に無いのだが、記憶に無いということは、極端に美味しくも不味くも無かったということだろう。値段は、まろやかな味のチーズを丸ごと、匂いの強いのを半分に切って貰って計€15、日本円では¥1,875。

​さて、日本人にとっては重大な魚類。魚市の建物に入ると、あるわ、あるわ、さすが大西洋の北半分を漁域にするポルトガル。差し渡し40センチ位の立派な真鯛が鱗を光らす。それに負けず劣らずの鱸、25センチ位の黒鯛、30センチ位の鮃に加えて、これ又23センチ位の長さで直径4センチ位の太さの大海老、太刀魚もあった。背後の水槽には車海老や蟹がうごめく。他には大中小とりどりの大きさのタコやイカ。鮟鱇(アンコウ)もある。肝だけでも買える。もちろんアンチョビーも帆立貝もある。名を知らない魚も沢
右側の手前は真鯛、左側は鱸、背後は平目。
Picture青菜が豊富な市場の八百屋。
山ある。私は、真鯛と鱸を1尾ずつ、大海老を2尾、中海老を一掴み買って、〆て€108也。日本円に換算すると、¥13,392。これは高い!ロンドンで同じ位の大きさの真鯛を買っても£20 位だ。 日本円なら¥3,160。ユーロに換算すると€33だ。それが、ここでは€43と3割高 。何故だろう。1週間分の野菜と果物は計€8 で日本円なら¥1000。2kg の牛肉を挽いてもらって¥750。私が買った魚屋は、一番品揃いが良かったから高いのか。試しに他の魚屋でも聞いてみたが、€2~3 の違いでしかない。ポルトガルの肉も野菜も果物も、とても美味しい。トマトは真っ赤。茄子は丸々として、柿は巨大で瑞々しい。日本人にとって嬉しいのは、青菜類が豊富なことだろう。どうして魚介類だけが、こんなに高いのか。理由を聞いた。EU の捕獲規制に合わせなければならないから、存分に捕獲出来ない、したがって高価になるという事なのだそうだ。緊縮財政に喘ぐポルトガルで、誰が一体こんな高い魚を買うのだろう。​

が、いたのだ。観光客でも、魚狂いの日本人でもない。いかにも高位の人物と見える風格の老紳士が、高価に身支度した夫人らしい人を従えて、大きい鱸を注文していた。見ていると、魚屋さんは「御注文通り」に鱗を削り、アラを取り、三枚に下ろして2枚の身だけを皮を剥いで包んで、残りはみんなゴミ箱に捨てた。頭も、エンガワも骨に付いている身も。何てモッタイナイ! レストランで魚を注文すると、たいがい丸ごと焼いたものを大皿に載せて来て、ウエイターが器用に捌いて、身だけを各自の皿に載せてくれる。残りはやっぱり捨てるのだろう。胸が痛む!私なら、刺身用の身をとった後の残りはアラ煮にするか、さもなくば酒蒸しにして丁寧に身を取り、その身に葱や人参や白菜などを加えて中華丼や中華風の卵焼きを作る。この大きさの魚1尾でなら2食分にはなる。その後、骨やら鰭やらみんな鍋に入れて、生姜と葱を放り込んで改めて煮て、出汁を取る。皮は汁椀に入れる。魚が鯛なら、鯛味噌や鯛そぼろを作る。しかしポルトガルでは、こまめにアレコレしないのだろう。私は日本人で良かった。無駄を極力出さないようにしていた母の後ろ姿を見て育って、良かった… 。とまあ、感傷に浸るのもたまには良いとして、どうやら金のある所にはある、それが例え一握りであっても、という事らしい。ところで刺身を造って醤油やワサビはどうしたの?と首を傾げる方もあろう。ご心配ナカレ。醤油各種、ワサビも海苔も、味噌も有機栽培の「麦味噌」というのがあった。鄙びた味でイケる。照り焼きソースまである。「ジャンボ」という赤い象印のスーパーに行けば全部揃う。揃わないのは味醂と出汁。でも味醂は甘口ワインと必要なら砂糖も入れて間に合わせ、出汁は「だしの素」を持参すれば良い。軽いし場所も取らない。
 
ところで、庶民の魚の鰯は何処だ。魚市の端から端まで歩いたって、鰯は無い。そのくせ、レストランには必ずある。塩焼きにして、茹でたジャガイモと一緒に出て来る。鰯4本にジャガイモ付きで €10 以下だ。だが、観光客の行くレストランでは不味い。生きが悪い。でも場末にある土地の人が行くレストランでは、脂がジュンジュン音を立てて、飛び切り美味しくて、もっと安い。観光客を見くびっているのか? … かもしれない。市場に無いのは、鰯は痛むのが早いからか、安価過ぎて儲けにならないからか。その辺も、分からない。

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€10 の花。お正月でなければ買わない。
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カスカイスの町角に溢れ咲くブーゲンビリア。
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海辺近くにあるカスカイスの広場。
ところで、もう一つ。花は、安くない。でも大きな花の束を抱えて市場から帰って来る人は少なくない。こう言っては何だが、所帯窶れのしたような中年の女の人が、大きな花束を持って市場から戻って来るのを見た。€10位はする。 私なら当然削減対象にする。が、彼女たちは、それをしない。ふむ… 。
 
耳寄りな事実が一つ。ワインは安い。不味くはないワインが1本€4 位。日本円で¥500。ポートも安い。いえ、高いのは天井知らず。でも何百ユーロもするポートを私は買う気は無いので、話の種に1度眺めただけ。イギリスで飲んでいるワインは、フランス産であれイタリア産であれ、あれはきっとイギリス政府が吹っ掛ける税金を飲んでいるようなものなのだろう。
 
かくして滞在した3週間の飲食費は€78,740 で、日本円に換算すると¥97,960。イギリスに於ける私の1ヶ月の飲食費は £500 (¥79,000)なので、ほぼ25%高。しかしクリスマス前後の10日間を娘が同宿しているので、しかも彼女は普段自分では決して買わないものを、私の財布でなら買いたがるという傾向があるので、この数字はデータとしての正確さを些か危うくする。反面、2人分の食事は1人分を作るより安上がり、という事実を考慮すると事はさらに複雑になる。ここで比較的参考になる数字を拾うなら、娘が滞在した10日間に限ってクレジットカードの詳細を合計すれば、「夫婦二人の祭日を含む飲食費」というのが出る。即ち¥44,285。1ヶ月なら、その3倍の¥132,857だが、毎日が祭日では無いのだから12万円位だろうか。飛行機代も、私は12月の前半に来ているので£155、娘はクリスマス直前の22日に来たので 6割高。私の飛行機代も11月に買っていれば半額で済んだもの。とまあ、反省を促す事実も多少ある。交通費は、リスボンに毎週訪れ、シントラへは2度、ヨーロッパ最西端のロカ岬にも行き、〆て¥17,380。カスカイス-リスボン間は、1往復で€2.50  だから、日本円なら¥313と格安。しかも時間通りに運行して、利用者に便利なようにダイヤを組んでいる。​ロンドン郊外の私の住まいからロンドン迄電車で40分だから時間的にはカスカイス-リスボン並だが、経費で計ると1往復で¥2,370 で7〜8倍。日常、私がスポーツクラブに行ったり買い物に行ったりするのに使うガソリン代は、月平均で¥7,000 。これに月に1度位ロンドンへ行くとして、計¥9,370。外食は延べ6人前で¥16,000。これは、観光客用の値段を払わされた時あり、地元の人並で済んだ所ありで、平均すれば1人前¥2,700。入場料の総計は約¥11,000。ただし、これはシントラを見学した際の娘の入場料がその大半(私はロージン割引が効いたので)。
 

そこで、ご破算で願いましては、      
                                          (数字は¥)
                                 カスカイス           自宅                               
   住居費                     260,568              —                
   飲食費                       97,960             79,000                                                                                
   飛行機代                   24,490              —                                                                                
   交通費                       17,380               9,370          
   外食                           16,000            
   入場料                       11,000            
   _____________________    
   合計                         427,398                                    *換金レート €1=¥125   (2016.2.27 執筆現在)​

​飲食費はやはり割高。魚介類の値段がその理由。果たしてEU規制だけで説明のつく事だろうか。何しろイギリスでは25%安で済むのだから。外食と入場料は自宅に居ても外出すれば払う出費と考えれば、食費の不明瞭な要素は別にして、要は住居費と飛行機代が実質の出費ということになる。ちなみに光熱費は住居代に込み。
 
2011年にモーリシャスで1週間滞在した時は、中継地のドバイで食べた非道く高いアイスクリーム迄含めて合計¥302,412 。2013年に滞在したメキシコ行きには、¥386,784と、これ迄にした冬の1週間の旅ではこれが最も高額。と、書いたからには最も安価だったのは何処かというと、2014年のマレーへの旅で¥234,472 。これは友人と一緒に出かけて合い部屋をした結果だから、夫婦二人で出かけるなら、これが一人分の値段という事になる。
 
1週間のホテル住まいと1ヶ月(実際には3週間)の個人住宅滞在では、どちらの方が良いだろう。私は後者を選ぶのだが。

文化

ヨーロッパの国々は、何処かしら似通っていて、そのくせ突然違いを思い知らされたりする。が、そういうことを言い出すと、アジアの国々だって同じことが言える。アラブ諸国は全体的に見分けが付かないような気がするが、それは私が無知だからだろう。ある動物学者(恐縮だが、お名前は失念した)がゴリラの顔が個々其々に違うという説明のために数十のゴリラの顔を並べて、個々の違いを見分け得るのは、要はどれだけ種の特性に馴染んでいるかによると結論していた。その説によれば、ヨーロッパ人とは40年近く肩を擦り合わせて暮して来たが、アラブ人の中で暮したのは4年間でしかない。つまりアラブ人への理解はヨーロッパ人のそれへの10分の1でしかない、足りない、と結論出来そうだ。ところで、一体隣国の影響は強く受けるものだろうか。それとも逆に反発し合うものだろうか。あるいは宗主国の影響は、強制されることが多いだけにより広く浸透するのだろうか。それとも根深い拒絶が生まれるのだろうか。こういう事も、独自に過ぎる位に独自に過ごし得て来た日本人には一寸分からない感覚だ。以下に五つの言葉を5ヶ国語で並べてみたのは、「似通っているが、違う」という漠然とした実感を、具体的に検証してみたいからだ。
 
     日本語                    ポルトガル語                 スペイン語         イタリア語                   英語
 
     今日は                     hoje                                       hola                     ciao                        hello
     さようなら             adeus                                    adios               arrivederci                 bye
     よろしく                muito prazer                    mucho gusto           piacere           please to meet you
     ありがとう         obrigado/obrigada                  gracias                grazie                   thank you
     どうぞ                     por favor                              por favor           per favore                please
 
 しかしザット見渡しただけで、こんな比較は無意味だとショゲてしまう。例えば「今日は」は、「hello」ほど軽くはないが、「good morning/afternoon/evening」ほど改まっているわけでもなさそうで、その点他の3ヶ国語でも、「軽さ」に於いて同格のようだ。イタリア語の改まった言い方が「buongiorno」で、スペイン語なら「buenos dias/tardes/noches」となるからだ。しかし、この際メゲズに乱暴をしてみようと決心すれば、「似通っている」のは「どうぞ」がロマンス語では確かに似ているが、さすがにドイツ語系の英語では全然違う。しかし「ありがとう」では、スペイン語とイタリア語は似ているのに、ポルトガル語はどうしてこんなに違うのだろう、と首を傾げる。しかも男言葉(前者)と女言葉(後者)の違い迄ある… 。かと思うと、「今日は」と「さようなら」では、ポルトガル語とスペイン語が確かに似ていて、隣国の由縁か… と思える。しかし無理な比較はこの位で良いだろう。「似通っているが、違う」あるいは「違うが、似通っている」という困った感覚は伝わって来るからだ。これはひとえに歴史的経緯に由来する。
Pictureギマランエス博物館正面
​カスカイスにあるギマランイス(Guimarães)博物館を見学した折、その建築様式、室内装飾、家具、食器に至るまで、実に多様な、というか雑多な取り合わせに食傷した。会席料理を食べに来たのに、ゴッタ煮を食べさせられたような気がしたのだ。海を前にして立つその館は19世紀始めに建てられ、広々としたバルコニーが巡らされて、その下には小川が流れて海に注ぎ込んでいた。満ち潮時には、バルコニーは水の中に立つように設計したのだろう。衆目を集めるのは建物の中心に据えられた塔だが、これは中世風だとパンフレットに書かれていた。館内の造りはビザンチン風に仕上げられ、そうかと思うと所々タイルで飾られ、明らかにイスラム文化の影響を伝えていた。家具には中国の物を持ち帰ったのか、あるいは中国風に作った物か、いずれにしても強い中国の雰囲気を醸していた。陶器や磁器に至っては言うまでもない。しかし全体的には紛う方無く19世紀のヨーロッパ建築だった。調和を重んじる日本古来の美意識を通して見るから「ゴッタ煮」に見えるのか、世界中の美しいものを取り入れて且つ復古主義に立って設計したフランシスコ・ヴィラカ(Francisco Vilaca) の美の集約だったのかは、私の独断すべき処では無い。いずれにしても、大航海時代を切り拓いたポルトガルの一端を表す、多様さである事は自明である。

Pictureシントラにある「国立」宮殿
シントラの … National Palace は日本語で何と呼ぶのだろう、直訳すれば国立宮殿?日本風には皇居?でも皇帝も天皇も存在した事の無いポルトガルには「皇居」という言葉は使えない。国立の付く宮殿名等あったろうか?Google も英語で書いている。ヤレヤレ、つまらない処で立ち往生する事だ。ポルトガルには、と言うか、シントラには6つも「palace」と名の付く建物があるのが問題の元。例えば Monserrate Palace は、経済人が建てて住んだのだから「palace」という語を使うべきではない。しかし語句の誤用を難じるのが本サイトの趣旨では無いので、指摘に留めておこう。ちなみに日本語で検索したら「シントラ宮殿」と出てきた。厄介な言葉は切り捨てたのか、それとも不要な言葉は避けて意訳したのか。ともあれ、シントラの「国立」宮殿を訪れた際、日本風に言えば欄間に当たる部分に壁画が描かれていた。それが即座に壁画だと呑み込めなかったのには理由がある。
 
壁画といえばイタリア・ルネッサンスの絢爛たる壁画か、日本でならば安土桃山時代の障壁画を思い浮かべるのだが、シントラの王宮に描かれていたのは芸術性を問うというよりは、勇気をもって大海に出て行った自負心を絵にして記録したといった類のものだ。暗い海を大きな黒い船が何艘か進んで行く。その美しくもない絵(こう言ってはなんだが)が、王宮の「欄間」といった位置に描かれている。壁一面にデカデカと描いたのでも、天井を覆うように描いたのでもない。欄間には採光や通風の用があるから天井と壁の間に位置するのだが、シントラの王宮の「欄間絵」には、そういった実用は無さそうだった。ひとしきり眺めて、考えてみた。画家の視点に立って、再び見てみた。まさか遠慮して細長く描いたわけでもあるまい。そうして、やっと思い着いた。違うかもしれないのだが、細長く描けば海の広さをより効果的に描けると考えたのではあるまいか。そして必ず誰の目にも留まるように高い位置に。かといって天井に描いたのでは、海も船も落っこちて来そうでいけない。だから「欄間絵」になった。如何だろう。

それにしても古ぼけた技法だなあ、西ヨーロッパの国々ではルネッサンスの洗礼を経て華麗を極めていたというのに、というのが私の密かな呟き。

Picture地中海世界。
改めて地図を見る。イベリア半島はヨーロッパに組み入れられてはいるが、ピレネー山脈によってヨーロッパから隔てられている。それでもスペインは、ヨーロッパ諸国と地中海を共有している。しかし、ポルトガルはその共有圏に面していない。あたかも地中海に背を向けるように、大西洋に面している。目前に広がるのは、大洋のみ。ポルトガルが欧州に在りながら、スペインをも含めた他のヨーロッパ諸国と一寸違うのも、こうして見ると頷ける気がした。イギリスも然り。地理的な条件が、活路を、隣国とは異なる方向へ導いたようだ。

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さて今回の滞在で、ポルトガルについて何を学んだろう。数々あろうが、私としては何と言っても前人未踏の大洋へ乗り出して行って成功した、勇気と努力に頭が下がる。大洋に出るという事がどういう事か、私にも及ばずながら解るからである。(了)




<参考資料>
www.cao.go.jp
,
www.mofa.go.jp,
Portugal 
​Condes-Castro Museum
他各所発行のパンフレット。

<掲載地図>
https://en.wikipedia.org/wiki/Portugal_Current#/media/File:Golfstrom_Karte_2.png
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