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テイーベ河の河口

定年後をどうやって暮らそうか、と思案している方々へ

オステイア(Lido di Ostia, Roma)

春、2023年。

​
ボートヤードから返答が無い。足首を折って早々にイギリスに帰って来たのは4年前。その後パンデミックがあり、大事をとって更に1年見送ったのだが、最近はメールをしても返答が無い。「もしかしてコロナで倒れたか?でも全員倒れたわけでもないだろうに...」。「ユー・ハフ・トウ・ゴー」と連れは言う。ボートヤードが返答して来ないから、私がわざわざ出向くのか?私は単にボートの保管料の支払いをどうしたら良いかを聞いているだけなのだ。
 
しかし出向く事にした。支払いは兎も角、ボートが心配なのだ。ちゃんと頼んだ通りにやってくれたかどうかが覚束ない。排水を8月に頼んだのに、12月になって「ほら、やりましたヨ」と何枚も写真を送って来た。4ヶ月放ったらかして置いたのに違いない。
 
ボートヤードの事務所に着いてみると見知らぬ女性が出て来て、彼(支配人)は去ったという返事。つらつら探り出すに、私ばかりか多くの顧客が頼んだ事をやっていないと苦情を入れた結果、免職になったらしい。当面は20年間事務に勤続の女性が経営面を、整備工の一人が現場を仕切る体制。英語が分かるのは受付兼経営アシスタントの「見知らぬ女性」だけの様。
 
ともあれ「ボートが見たい」と言うと、明日までに準備するとの返答。ヤードに引き揚げてあるボートを見せるのに何を準備するのかと思ったが、まあ角を立てても何だから出直す事にした。
​長いプロムナードを挟んだ反対側に格好のホテルがあったので、7日間の宿泊を予約しておいた。海を前にした眺めは大いに気に入った。ドドーンと波が打ち寄せる音を嬉しく聴きながら、潮風も満喫した。しかし飛行機代込みの部屋代に宿泊の為の地方税(というのをイタリアのホテルでは加算する)を加えて合計17万円。えらく高い。飛行機代は1万円位なものだから、一晩23,000円もとって、夕食はおろか朝食込みですらない。しかも未だシーズン・オフ。ボートヤードが返答をしないから私がこれだけの出費を強いられるのか?憤懣やる方ない。
写真
ホテルから海辺を見下ろす。
写真フランス風に生の魚介の盛り合わせ。イタリアなら焼くか揚げるかしてあるところ。手前はエビとラングステイーン。後方左手には鮭と鮪。
​足を折った時に助けてもらったレストランに、お礼方々夕食を食べに行った。魚介類の「生尽くし」。奥さんがフロアー担当で、ご主人が主任シェフ。フランスで修行した人らしく、イタリア料理にフランス風が加味されている。娘二人に息子一人も接客係。しかし英語が話せるのは奥さんだけ。家族全員、交代でコロナに倒れたそうだ。我が方も、娘と私と孫達以外は、家族も友人達も皆コロナに倒れた。世界中がそうだった。それなのに発生してから4年経った今も、原因は憶測の域を出ていない。不本意な事だ。

写真
蟹入りのスパゲテイーを注文したら、蟹が半分のって出てきた。美味しかったが、食べるのに1時間かかった。
写真
鮪の「叩き」というのがメニューにあったので、取ってみた。日本の「叩き」とはちょっと違うが、美味しかった。ソースはアボカド。
​翌朝ボートヤードに行くと、私のボートは事務所がある方ではなく、向かい側の方だと言われた。迎えたのは小柄な男。彼の後ろ姿を見る形でついて行く。イタリア人はゲルマン系に比較すると、概して小柄。しかし、何故だろう?彼の後ろ姿が薄笑いしている様に見えたのだ。梯子を掛けてくれたので登って行くと、水浴用のプラットフォームに酒瓶が並んでいる。コクピット・カバーの端のボタンが、幾つか外れている。不審と思う可きところだという事も考えずにカバーを上げて潜り込んでいくと、電池が出してあって、辺りが散らかっている。キャビンのドアに目をやると、鍵が取り壊されている。中ではありとあらゆる物がひっくり返っている。ファースト・エイドの中身がすっかり掻き出されて、物探しをしたというよりは、散らかすのを楽しんだかのように床に散らばっていた、包帯も、ガーゼも、ハサミも、絆創膏も。
写真
鍵を台ごと取り外してあった。
写真
キャビン内の散乱状態。
写真
コクピットの通路にも物が散乱。
​​何にも触らなかった。気味が悪かったからだ。汚い手が、私の持ち物の全てに触れていった...と想像しただけで怖気が走った。写真を撮った、何枚も、あらゆる角度から。そして事務所に戻って、バンダリズムにあったと報告した。「見知らぬ女性」はバンダリズムという言葉を知らなかった。
 
港内の警察署はボートヤードの数件先にあった。バンダリズムを届け出ると、調書も取らなかった。指紋を取らないのかと聞くと、「こんな事ぐらいで指紋なんか取らないですよ。届け出をするなら街の本庁が係だから、そちらへ行った方がいい」。バスに乗って本庁へ行くと、門も開けてくれずに鉄格子の付いた小窓から、「移民局へ行け」と言う。「ここへ来るように港の警察官に言われて来た」と言い返すと、「今日、ここは閉まっていて誰もいない」と言う返事。ピシャンと窓も閉めてしまった。
 
移民局へ辿り着くと、そこには長蛇の列の人々がいて、小さなカフェが門外で商売をしていた。門に目を遣ると、若い係員がたった一人で応対していた。待っている人を見ると、観光客の様な人はいない。誰もが貧しい外国人のようで、果てしなく立ち尽くしている。私もしばらく立っていたが、中に招かれて入って行く人もいなければ、用が終わって出てくる人も見なかった。あたりの街並みは車の整備をするガレージが店を開いていたり、反対側には結構立派な民家が並んでいたりして、移民局の存在には不向きな様な気がしたが、しかし、ここはイタリア、意外なことがアリの国。
写真移民局の門外で待つ人達。カフェが隣接して商売していた。
30分も居たろうか。帰ることにした。帰って来てボートヤードの事務所で事の次第を説明すると、「警察は何もしない。時間の無駄」だと言うのだから、私はどうすれば良いのか。被害届も出せないなら、保険会社に請求することもできないのだ。フランスとの違いを述べておこう。フランスのカペスタン(Capestang)で、リブ・ボート(インフレータブル・ボート)とそのエンジンが盗まれた時には、所在地のキャピタン(マリーナの責任者)が警察に同行して調書を取る1時間半程の間、通訳も含めた法的処理の世話一切をやってくれた。従ってイギリス帰国後には、被害対象の全額が保険会社によって支払われた。警察が被害届をオンラインに掲載しただけで事件の追跡などをしなかったのはフランスも同じだが、被害者の損失回復は保証された。
 
イタリアでの被害には、保険が一切使えなかった。私にできたのは、使えなくなった物をゴミとして袋に詰めて出しただけ。ボートヤードは、掃除婦にキャビン内の掃除を自前で頼んでくれただけ。幸い泥棒はボートの事も機械についても無知だったらしく、盗んで行ったのは私の衣類と掃除機、扇風機、望遠鏡といったものだけで、被害総額10万円程度。では、ボートヤードは責任を感じてボートの保管料を多少とも減額したか?保管料は76万円に上っていたのだ。一切無し。
 
書類として交わしていたのは、ボートの保管料と整備を含んだ見積もり書だけ。しかしながらバンダリズムがあったと報告すると、数行の「Small Print」を以て「盗難・事故その他の損害は、ボートヤードは責任を負わないので、すべて保険で処理すること」という記載を示された。そんなものは何処に書いてあったのか。少なくとも私はそんな記載に同意した覚えは無い。
 
これではあんまりではないか?「取るものは取っても、責任は一切負わない」と言うのだから。「じゃあ、他へ行ったら?」と言う選択は、4年前の私には無かった。今も無いだろう、イタリアでは何処も同じなのだから。「じゃあ、イタリアなんかに行かなきゃ良い」という選択はある。でも誰もがイタリアが好き。私も。サルデーニアで「海賊」に会った時には、保険会社が万端引き受けて処理してくれた(サルデーニアの章参照)。では、保険会社に救援を求められない今回の様な場合にはどうするのか。
 
 
夏、2023年。
 
ボートヤードの係員は、事情を了解した。多分、誰が犯人なのかも知っていただろう。何しろボートヤードに入る鍵が手に入れられて、しかも各ボートの事情を知っていなければ難しい犯罪だったからだ。そう、内部の人間の仕業だろう。
 
私はボートの保管料を額面通りに払った。つまり担当者は、帳面上は何事も無かったように処理する事が可能になった。誰もが責任を問われることがないのが分かって、おそらく安堵した事だろう。彼等は雇われているだけなのだ。エンジンの修理が完了次第、ボートを浸水して他の全ての修理が終わる迄の間(結局3週間かかった)、ボートヤード所有のポントウーンを無料で提供しようと言ってくれた。シーズン最中の事だから、生半可な金額ではない。バンダリズムによる破損ではないものに関してまで、部品の代金を請求しなかった。そして事情を知らされた人々が、手が空き次第、内々に修繕に励んでくれた。
 
一体どういう防衛手段が私にあっただろう。盗まれた物の損害賠償と、返答がないがためにイタリアに出向いた費用をボートヤードに請求する事か?私が問いただしたいのは、事後にどこからか引っ張り出して来た「Small Print」を以て責任を取らないという姿勢が罷り通るのか否かという点だ。しかし、それはさて置いて、実際にボートヤードが帳消しにしてくれた金額も少額ではない。3週間の停泊料については既に触れた。エンジンの点検には私が予備に買い置いた物を使ったが、点検の手間賃は帳消し。コンロもポンプも電気回線の点検も、手間賃は帳消し。ボートの浸水料(€160=Y 25,000)まで請求しなかった。これらが総計で幾らになるのか私には分からないが、エンジン点検の手間賃は6〜7万円するのは知っている。丼勘定すれば、盗まれた物の総額とイタリアに出向いた費用の合計とトントンになるのかもしれない。そう信じて、全てが穏便に済んだことを喜ぼう。

​というわけで、色々な人が私のボートにやって来た。
 
私のボートは全てが電動。コンロ然り。4年間使用しなかった器具は、様々な理由で作動しなくなっていた。最大の理由は暑熱。ローマの真夏は40度を超える。私がもっとも案じたのは電気の回線だったが、しかしこれは概ねオーケー。だがコンロそのものは狂ってしまっていた。電気を入れた途端、「ボッ!」。以後、何の反応も無し。製造元(Regal)へ部品を注文すれば何ヶ月もかかる上に、値段も高い。アンナ(経営担当)が電気屋へコンロを買いに行ったが、オリジナルのように埋め込み式は無かった。そこで大工のステファノがやって来た。埋め込み式の穴を埋めるためだ。彼は正確に穴を測って見事ピッタリの板を作って穴を埋めた。板は一寸大きめ?と、初めは思った。しかし、少しずつ、少しずつ、騙し、騙し、木槌で叩きながら、辛抱強く穴に収めていった。オーケー。
 
次に、電気技師のファビオがやって来た。コンロの回線を繋ぐためだ。彼は現場責任者のアントニオに携帯で相談している。流しの下の小さい戸棚の中に大きな体を押し込めて、ぐっしょり汗をかいて。電線というのは1ミリ程の細い線だ。それを暗がりの狭い戸棚の中で繋いでいく。しかし、これもオーケー。
 
今度は各種フィルターの取り替え。これはデッキ下のエンジン室の中にある。私のボートは何でも小型に出来ている。エンジン室も例外ではない。大きな男はエンジン室の中に入れないから、デッキの床に腹ばいになって、まあ、逆様になって仕事をする事になる。アントニオは180センチの体躯。気の毒に。40分間逆様の状態でフィルターを取り替えた。彼の父親は、先週危篤状態になった。先週は仕事を休んでいたが、今週は復帰している。イタリア人の家族の絆は強い。脳裏に行き交う思いを振り切って汗だくになる... 。悪い方法ではないのかもしれない。
 
ゲージは全滅?上・下水の水位を示すゲージが狂っている。水深度を示すゲージもダメ。幸い、燃料量を示すゲージは、まあ、作動?(後に判明したが、半分までゲージが下りたら、あとは釣瓶落とし。)上水のゲージは、深刻ではない。水が無くなれば入れれば良いからだ。そもそも、どのくらいの水を1日に使うかは、ほぼ一定している。そういう意味では、下水の方も、何日ぐらいでタンクが満杯になるかは予想がつく。但し、下水はウッカリすると洪水を起こす。水深度は、私のボートは0.4m迄クリアーできる。つまり、目で測れる。燃料は?常に満杯を心掛ける。せめて水深と燃料のゲージを何とかしようとアントニオが半日努力したのだが、成功には至らなかった。センサーの動きは微妙なようだ。
写真
船名の下にサウスハンプトンと書いてあるから、イギリスの船だ。一体どんな歴史を経てきたのだろう。そして、どう生まれ変わるのだろう。
​ボートヤードというのは面白い所だ。これは3週間、目の前にして暮らして分かった事だ。巨大なボートが何隻もある。フェリーぐらいの大きさのもある。そのどれもが長期間ボートヤードに置いてあるぐらいだから、整備が必要。「一体、こんな巨大なポンコツを使える様にするにはどのくらいの費用が必要なのか?」と、私は思った。しかし持ち主にとっては掛替えのない物であるらしい。事務所の前に巨大な「ユートピア」と名付けられたボートが身を晒していた。どう見ても「デイストピア」にしか見えないが、いよいよ修復の段取りに入るらしい。大工も、電気技師も、修理工も、それにデザイナーも加わって、蘇生させるまでに何年かかるのか。そうしてみると小さいボートは簡単だ。
​ボートが見違える様になるのは、船体を塗り替えた時だ。私のボートを塗り替えてくれたのはマルコ。ペンキ塗りは持ち主がやることも多い。つまり素人でも出来る。マルコも専門家ではない。彼の本職はコンピューター・プログラミング。忙しい時だけ駆り出される。彼は英語が上手だ。彼が言うには、コンピューター・プログラミングだけでは生活が成り立たないのだそうだ。「イタリアはダメだ」と彼は言う。「外国に出て、浮き上がる足掛かりをつけたい」。イタリアの産業は観光業、服飾業、カー・メーカー。いずれを取っても華やかだ。しかし地道な製造業や技術業はイタリアの得意とするところではないようだ。
写真
このボートは、船底を塗り替えれば見違えるようになる。
写真
こちらは船底を塗り替えて見違えるようになった。
写真オステイアの駅前にあるバスターミナル。
​稀有な事があった。ボートの浸水日が決まった。いよいよボートに引き移れる。とすれば、扇風機が必要だ。バスに乗って買いに行った。ついでに野菜と果物も買い込んだ。扇風機は両手で抱えなければならない。だから、野菜と果物はリュックに入れて肩にかけた。ハンドバッグは首から下げている。バスを乗り換える段になって扇風機を抱えて降りた。バスは去った。「!」。野菜と果物は?リュックは肩から下ろして前の席に置いたのだ。
 
買い物は失くしてもいい。問題はリュックだ。リュックの内ポケットには、私の期限切れのパスポートが入っている。忘れないように用心して前もって入れておいたのだ。期限切れのパスポートには、私の英国永住権を保障するスタンプが押してある。結婚届はしてあるのだから、永住権を再認証してもらうことは出来るだろう。しかし手間がかかる。パスポートを取り返すに越したことはない。ホテルに戻って荷物を置き、レセプションに相談すると、一筆書いてくれた。「今日X時X分にX線のバスを降りる時、緑色のリュックをバスに置き忘れました。届いていませんか。」これを到着するバスの運転手に見せれば良い。口で説明するより早い、とレセプショニストは言う。そうだろう、私のイタリア語では言う方も聞く方もモドカシイ。バスターミナルに行って、戻ってくるバスの運転手の全てに紙切れを見せた。皆が読んで、そして首を振った。3時間ぐらい居た。そして諦めた。ホテルに帰って日本大使館にメールした。届けられたら知らせて欲しい、と。

そして3週間が過ぎた。明日はローマを発つという日、ローマの日本大使館からメールが入った。「期限切れのパスポートが届けられました」とあるのだ。当然予定を変えて、翌日ローマへ行った。係員の人が笑って出て来て「期限切れのパスポート」を渡してくれた。「リュックは無くて、パスポートだけがイタリア警察に届けられて、私共に回されて来たのですが」と言いながら。移民局に並んでいた人達が脳裏に思い起こされた。あの人達はパスポートが無いがために果てしない苦労をしている。きっとあの人達の様な人が届けてくれたのに違いない、と思えた。日本人には想像もつかない苦労だが。
 
オステイアを去る日の早朝、修理工のアントニオが見送ってくれた。「グラッツエ、アントニオ。アリベデルチ!」彼も挨拶を返して来た。「アリベデルチ!」。とんでもない事が次々に起きた4年間の滞在だった。しかし同時に、人々がいかに親切で情(じょう)に厚いかも知った。「アリベデルチ、ローマ!」
 
 
 
 
 

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