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ピカソ美術館のテラス。アンテイーブ
定年後をどうやって暮らそうか、と思案している方々へ

フレンチ・リビエラ その2
​カシ、ラ・シオタ、サン・マンドリエ・シュル・メール、トウーロン、イエール、
カヴァレイル・シュル・メール、サン・トロペ、サン・ラファエル、カンヌ、アンテイーブ

​ 
フランスの地中海沿岸を旅するに当たって、三つの場所を避けること。その一つはローヌ河の河口。どんな流れが海面下に渦巻いているか、想像するだけで気が転倒しそうだ。仮に自分を滝壺に落っこちた蟻だとしてみれば、分かり易い。避けるべき二つ目は、マルセーユ。ご存知フランス第一の港。レジャー・ボート等がウロウロしていたら、叱り飛ばされそうだ。 ロイの港でさえ、「漁船の邪魔にならないように気をつけろ」と、ガイド・ブックに書いてある。三つ目は、カンヌ。停泊料が、世界で最も高い10番目の内に挙がっているのだ。そんな所へノコノコ行くのは、破産しに行くようなものだ。
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フリウリ島。この背後にマルセーユがある。
カマルグを出るや、南下して沖に出た。ローヌの水が流れ込んでいる場所を避けるためだ。さらにマルセーユも避けて、遥か遠くに陸地を見ながら進んだ(連れがいるから、呑気に遠くの陸地を眺めていられるのです)。
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フリウリ島を後方に見ながら、午後の海を突っ走る。
海に出ると視界が広がる。何故か? 車を運転していると、建物を目印にしたり、通りの名前や番地を書いた標識を頼りにする。しかし海からでは、そんなものは見えない。目印に出来るのは岬であり、湾であり、はたまた山や丘の高さや島といった、言わば陸地の日常を35万倍(?)で見る事になる。おまけに陸地と違って道路が無い。したがってセンターラインも無い。周囲の広がりの何処を如何様に進んでも良い。1キロ四方に障害物が無ければ(例えば他のボート)、ヘルム(ハンドルのこと。ボート好きは海洋の専門用語を使いたがる)をそっち除けにして、  おもむろに海図を広げて場所の確認も出来る。
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フリウリ島が小さく水平線に浮かぶ。もうすぐ日も沈む。
視界に広がるのは海と空、そして遥かに陸を見る…。これでは視界が広がらないわけが無い。そこで気分の方も広がるかというと、それは状況次第。少しでも風が出ると不安になる。ふと深度計に目が止まったりすると、その深さにタジログ。泣いても吠えても誰にも聞こえない…とマア、こういった気分は連れがあると毛ほども頭をもたげて来ないから不思議だ。こういう心理を、心理学者は何と名付けるのだろう。イライシン?
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島も本島も、そして海も、闇に沈んでいく。
そうこうしている内に、辺りは夕焼けに染まっていった。今夜の寄港地カシ(Cassis)が、もう見えて来てもよさそうだ。双眼鏡を覗くと、沢山のマストが見えた。レジャー・ボートの泊まる在り処を示す最良の目印だ。ヤレヤレ暮れてしまわない内に着いて良かった。が、着いてみると、えらく混んでいる。カピテナリーに行くと「場所は無い」と言われた。「泊まりたければ、その日の午前11時迄に電話で予約を入れなければダメ」なのだそうだ。「そんなことを言う港なんて、これ迄無かった」と泣き言を言っても「無い袖は振れない」そうだ。「手前の港に戻るなら20分、この先の港へ行くなら40分」と言う言葉に、連れはエンジンをかけて、私に怒鳴る。怒鳴らなければ聞こえないのは事実だが、私の手ぬかりに腹を立てているのも、もう一つの事実だ。「どっちに行くんだ!君がキャプテンじゃないか!」。海は既に紫紺。無難なのは引き返す方だ。しかし小さい港だ。電気も水も無い。他方、この先のラ・シオタ(La Ciotat)は設備もあり、規模も大きい。が、海は暗さを増すばかり。時計は既に8時を指す。「ラ・シオタ!」。
 
東を目指して沖に向かう。「ナビゲーション・ライトは点いているのか!」と、又怒鳴られる。何故か点かない。整備に出して万端が整っているはずなのに。実は温水のスウィッチも入らないので不審に思っていたのだ。整備士が造船元のリーガル社の造りに慣れていなかったせいか…(?)「懐中電灯でも何でもイイ。早くしろ!」と、又々怒鳴る。あいにくな事に、懐中電灯を充電していなかった。夜の航行なんて考えてもいなかったのダ。これは間違いなく、私の手ぬかり。「危険だ!点灯無く夜間航行するなんて。法律違反だ! 法律違反なんだぞ!!」(… オヤ? 怒鳴りチラシているネ。そうか。彼は不安なんだ。気が転倒しているんだ。無理もない。)しかし、こうなると、私の方は腹が据わった。怒鳴り声も気にならなくなった。あれは泣き声の変形なのだ。そして目前の水面に目を凝らす。油のように滑らかだ。有難い。彼の方も静かになった。喉が枯れたのかもしれない。気の毒に。それにつけても、頼り甲斐があるのは私のエンジン、ボルボD4。人間達の慌てふためき方を宥めるかのように、いつものようにリズムに乗って唸っている。ブルン、ブルン、ブルン。

ラ・シオタ(La Ciotat)

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港の周りに、カフェやレストランが立ち並ぶ。
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市で賑わう港。
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ラ・シオタの港。
ラ・シオタの港には、入り口近くに空いたバースが沢山あった。その一つにボートを付けて船尾の綱を岸壁に結わえた。すると連れが又言う。「キャピテナリーに断りを入れなくちゃいけないんじゃないか?」。(ヌケサク奴!もう9時なんだ。キャピテナリーが開いているわけがない。こういう場合は、翌朝断りに行くのが常套なんダ。)「綱はこれでいいんじゃない?レストランが閉まっちゃわないうちに、行きましょ」。
 
翌朝。いつもの通りの晴れ上がった空。キャピテナリーは港の向かい側にあった。私達の停泊場所からは、港をほぼ一周する所に位置している(つまり、一番遠い)。日曜日。市の立つ日らしく、港の周囲には俄仕立ての店舗が立ち並ぶ。その間は人々で埋まっている。品定めをしている人達だから動きは鈍い。文字通り、隙間は埋まっている。フランスはカトリックの国だから日曜日に開いている店は無い。しかし市は日曜日にも立つのか、矛盾だなあ… 等とグズグズ考えているのは、大き目の港の周囲を、人混みを掻き分けて行くのが焦れったいからだ。今日は早めに出航したい。午後の便で、連れがロンドンに発つのだ。そのためには午前中にトウーロンに着いて、モンペリエ行きの列車に間に合わせなければならない。現在8時。キャピテナリーは未だ開いていないかも知れない。が、迷っていても埒(らち)は明かない。とにかく行ってみよう。
 
キャピテナリーは開いていた。で、埒が明いたかというと、そうでもない。一向に話が通じないのだ。私は一晩の停泊料を払いたいだけなのに、受け取れないというのだ。暫くスッタモンダを続けているうちに何となく察しがついてきたのは、金を受け取ると記帳しなければならない。記帳するにはボートに関する書類が一揃い必要だ。そんな物を取りに行っている暇は無い。延々と続く市場を掻き分けて往復するには30分はかかる。記帳するには、内容を証明する書類が無くては出来ない。時間が無い。だったらコッソリ港を出て行ったら?と彼は暗示しているようなのだ。念のために確認すると、彼は目で頷いた。ふーん。
 
泊まり賃を踏み倒したのに誰も追いかけて来なかったから、やっぱり、そういう事だったのだろう。これがフランスの官僚主義?

Picture手前の半島がサン・マンドリエ。向かい側の、 湾内奥に位置するのがトゥーロン。
サン・マンドリエ・シュル・メール(Saint-Mandrier-sur-Mer)
 
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半島を曲がり込むと、右側にトウーロンらしい街が見えてきた。しかし巨大な軍艦が停泊していて物々しい。フランス最大の歴史ある軍港なのだから当然だろうが、あんな所へノコノコ入り込んで行って良いものかどうか、近づくに従って躊躇が増す。双眼鏡で見ても、レジャー・ボートが泊まれそうなマリーナは見当たらない。いえ、実は、私の双眼鏡では何も見えないのです。カタログを見て、小さくて軽そうなのに目をつけて買ったのだが、使ってみると役立たずなのが判明した。安かった事も確かだ。こういう時こそ VHF を使うべきなのだが、免許を取ったばかりで自信が無い。私がモタモタしているので、連れはイライラし始めた。さあ、どうしよう。反対側に眼を遣ると、マストが林立する一点が見える。サン・マンドリエのマリーナに違いない。が、行くべき港はトウーロンなのだ。エーイ、仕方が無い。サン・マンドリエからトウーロン駅にタクシーを飛ばせばいい。30分も走れば着くだろう。私がハンドルを切ると、方角が違うと言って喚き声が降りかかって来た。「ジーザス・クライスト!」、「ディス・イズ・オポジィト・ダイレクション!」、「ホワット・アー・ユー・シンキング?」、「クレイジー!」、「アイ・カーント・スタンド・ディス!」もっと色々言ったようだが、私の耳は好都合にも塞いでしまった。折しも目前には、こじんまりとしたマリーナが、両手を広げて迎えてくれた。

Pictureサン・マンドリエのマリーナ。
着いてみれば「安ずるよりも産むが易し」で、水上バスが20分毎にトウーロンに出ていた。考えてみるまでもない当たり前の話だ。住民こそ、駅に行くにしろ、買い物に出るにしろ、トウーロンへ行く交通手段が必要なのだから。喚き散らした御仁(ごじん)は何も言わなかったが、恐らく拍子抜けぐらいはしただろう。あるいは、気が咎めたかも知れない。

​​小さい町だが、日常に必要なものは全て揃っていた。しかも小さいだけに、手の届くところに何でもあった。レストランは2軒、私が停泊していたポントゥーンの真ん前にあった。その内の1軒は、前菜と主菜をセットにして30ユーロ(¥3,400)で値段も手頃だった。美味しくもあったし、サービスも良かった。ガラス張りの張り出し席は人気があって、いつも満席に近かった。もう1軒の方は、いつも誰も座っていなかった。給仕人さえ居なかった。シーズンのピークに商売をしないレストランというのがある事を知った。レストランの背後に「目抜通り」があって、通りを渡るとATM があった。百メートル程西に行けばスーパーがあった。そこから更に百メートル程の並木道を抜けると突き当たりにパン屋があった。右に行けばコイン・ランドリー、左に行けば肉屋と魚屋があった。何て都合よく整えられた町だろう。もちろん、日々に必要なものを全て揃えた。

ところで今後是非必要なのは、沿岸に並ぶ各港の見取り図。フランスの運河については実に良く編集されたガイド・ブックが各マリーナの見取り図も掲載していて便利だった。値段は€25(¥2,800)だったが、あんなに価値ある€25も又とはあるまい。同様のものが海岸沿いにもあるだろうに、まだ見ない。トウーロンに行けばあるだろうが、先ずはここのカピテナリーで聞いてみよう。訪ねて行くと、あった。何と最後の1冊だそうだ。「お値段は?」「タダですよ。」「!」嘘みたいな本当の話で、この町が余計好きになった。

​トウーロン(Toulon)


​​既に案ずることは処理済み。そこでトウーロンの街を見物することにした。水上バスは片道€2(¥230)。気持ち良く風に吹かれて、3度も往復した。車掌さんが不審に思うらしい様子も無かった。それにしても他人が操作する船に乗るのは、こんなに気楽なものなのだ。でもマア降りることにしよう。
Pictureトゥーロンの港の南側に民間用のポントゥーンがあった。こちらは軍艦ならぬ、美しい帆船。思わず息を飲んで、見惚れた。
編集するにはここをクリックします。

​街は大きかった。汚かった。それに騒音に満ちていた。海の上にポツンと一人で浮かんでいるのとは訳が違った。せめて美味しいランチでも食べよう。海に面した大通りに沿って行くと、由緒ある海軍の建物があった。軍隊のものは、海にしろ陸にしろ空にしろ、現在の日本人には見慣れないものだ。有難いことだ。広場が幾つもあった。一つ目、二つ目、そして三つ目、の広場まで来てウンザリした。30秒歩けばレストランに入れる町に暮らしていると、30分歩き回っても、静かで美味しそうな気持ちの良いレストランに入れないのが苦痛になる。その結果、たまたまあった広場脇のレストランに座ってサンドイッチを注文した。いい加減な代物が出てきた。ハムは最低の安物だった。一口食べて、もうたくさん。デザート・メニューにピーチ・メルバがあった。子供の時に姉に誘われて食べたのが懐かしかったので注文した。やがて巨大なアイスクリームがやって来た。そんな馬鹿デカイものを、小柄な私が食べられる訳がない。いい加減突っついてオシマイ。

二つだけ良いことがあった。一つは、空っぽの広場の上方に、ぽっかりと白い雲が浮かんでいて、その有様がまるで一枚の絵のようだったことだ。青空の真ん中に、どういう気象の偶然で、あんな小さい雲が迷子みたいに浮かぶことになったのだろう。面白いことだ。もう一つは、列車に仕立てた観光用のミニ・バスに乗れたことだ。お陰で街の主要部分を見ることが出来た。港街というのは、要は港付近に見所があるのであって、後は港街ではない街と変わらないということも確認した。説明を聞いて勉強にもなった。説明にあった天才船乗りの像も見てきた。でも、もう沢山、帰ろう。
 
ちなみにトウーロンの港は大き過ぎて、カピテナリーすら見つけられなかった。港の見取り図を手に入れる等は夢の又夢。


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この広場脇のレストランには入る可からず。
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この雲が非現実的な気象現象に思えて、しばし見上げた。

​イエール(Hyeres)

VHF を避けて、寄港する度に給油所にボートを留めてカピテナリーに走ることを繰り返している。 カシ以外ではそれで済んできたから尚いけないのかもしれない。我が事ながら歯痒いが、慎重を期してスムースに始める方が良いと頑固に言い張る自分がいる。幸いな事にイエールの給油所の人は親切で、女一人で航海するのも殊更の事とは思っていないようで、気が楽だ。
 
海図を見ると、イエール以東には巨大な港も無く、海岸線からも複雑さが消える。だからイエール迄行けば大丈夫、と思い続けて来た。そして、来た。静かな夕暮れだった。空いたバースが沢山あった。誰のボートにもぶつからないで済むように、両脇を空ける形で舟着けした。ぐっすり眠った。
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全長8メートル級のヨット。
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Sun Odyssey 全長14m. 個人所有の、所有者自らナビゲーションするヨットとしては最長の部類。
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長さは同様だが、こちらはモーターボート。後部にホロがかかっている部分はラウンジ。
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億万長者のボート。キャプテン始め掃除人まで雇い入れて、コックも給仕人もいる。
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これは釣り用のボート。ヘルムの背後に5種類の釣竿が差し込めるようになっている。
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海好きの老夫婦が、昼下がりの潮風を楽しむ姿が想像される。

翌朝目覚めて出てみると、隣にヨットが入っている。 私のボートより少し小さ目、全長8メートルといったところか。すると中から、細身の若い男性が出てきた。まだ少年の面影が漂う。その彼が語るところによると、昨夜は夜半から風が出て、彼は港の外に錨を下ろして停泊していたのだが、錨だけでは舟が縦横に吹きまくられて持ちこたえられないので、錨を切って避難して来たというのだ。距離は大したものではなかったにしろ、ヨットのエンジン(馬力が少ない)で大風の中をやって来たのなら大変だったろう。それなのに若者特有の気軽さで、彼は軽快に話し続ける。何時ボートを買ったのか、まだ何も備わっていないから、これから一つ一つ揃えていかなければならない、修繕すべき箇所も多々ある、寝るところも未だ無いし、学ぶ事は沢山ある、サーフィンのインストラクターをしているけれど、将来はレパートリーを複数に広げたい、ボートを買ったのも、ボートのナビゲーションをレパートリーに加えたいからで、あ、そうだ、ボートの中をお見せしよう…。階段を覚束な気に降りると、イヤハヤ雑然という言葉ではその雑然振りが表現しきれない位に雑然としていて、若いから気に病まないのだろうとしか思い様がない。この中で、どうやって暮らしているのだろう。炊事はおろか、お茶も沸かせない。トイレ無し、寝床無し、足の踏み場も無し。それでもここが彼の城。昨日買ったケーキにワインを1本添えて、陣中見舞いにした。彼はこれから錨を取り戻しに行かなければならないのだ。海底に沈んでいるものを水中に潜り込んで見つけ、それをヤッコラ引き上げて… しかし錨は重いのだ、舟を固定できる程にも。男とはいえ、こんな細身の少年が一人で出来るのか?冗談ではなく、背陣を敷くぐらいの覚悟と機略が求められている。「イザ、行かん」。鬨(とき)の声でも挙げる可きところだ。
 
又ヨットがやって来た。9メートルといったところか。私の反対隣に入ってきた。30代の男盛りが二人で操作している。ホモかな。いずれにしても、私としてはソロソロ出港の時間だ。今日は湾を横断してその先の岬を大きく回って、ラ・ラバンド(La Lavandou)迄行く予定だ。単純な航路だが、距離はある。クーリング・システムの水位を確かめ、エンジンのオイルを点検し、その上でエンジンを入れてオート・チェックを始める。オイルは?温度は?燃料は?私の装備も整える。前夜航路を決めた時に書き込んだログ・ノートを羅針盤とヘルムの間に定め、海図は何時でも 参照できるように私の隣席に差し込み、ハンド・ベアリングを首に掛け、時計をして、携帯はポケットに入れる。他には何?飲み水をたっぷり手元に用意する。これでオーケー。あ、眼鏡を忘れてはいけない、遠距離用のとサングラスと。エンジンは快調にブルン、ブルンと鳴り続ける。オート・チェックはピーピー言わずに大人しい。つまり、どちらも出航するに問題無し。タンクの水は昨夜満タンにした。残るはショー・パワーを切って、綱を解くだけ。
 
私がショー・パワーを外してコイルを巻いていると、一部始終を見ていたのかもしれない「男盛り」のアウト・ゴーイングの方が声を掛けてきた。「手伝うかい」「大丈夫よ」「綱を解く順番はどうするんだ」。私はしばし顔を上げ、風がどの方向から吹いて来るかを測る。微風だ、これでは分からない。次に、辺りに旗めく旗を見回す。西風だ。ということは、「先ずバウ・ライン(船首の左右に付ける綱)を外して、次にスターン(船尾)のスターボード・サイド(右側)を解く」と私。「スターンのスターボードを先に解いて、バウはその後だ」と彼。彼は手伝ってくれるらしい。シングル・ハンドの場合は、風が強くなければバウに上がってライン(綱)を外し、バウのスター・ボード(右側)とポート・サイド(左側)の両方の綱をスターン近くに結わえなければならない。つまり4本全ての綱を船尾に集めておかなければ、船尾から船首へ、そして又船尾へと駆けずり回ることになる。それは、実際には不可能なことだ。だから 先ずバウ・ラインを外して船尾に持ってきて結わえた上で、スターン・ラインの処理にかかる。もしバウが左右何方かに傾き過ぎたらバウ・スラスターで簡単に定め変えられる。え、風が強ければどうするのかって?出航しない。仕事でやっているわけでも、レースに出ているわけでもないレジャー・ボートは気楽なのです。だから彼の言葉は、「俺が手伝ってやるから無理をしなくて良いよ」ということなのだと解釈できる。

​しかし彼にはクルーがいる。そしてヨットだからボウ・スラスターは無いのかもしれない。そうだとすれば、クルーが同船していることを前提にした通常のやり方を示しただけに過ぎないのかもしれない。「いいわよ。それでもし貴方のボートにぶつかったら、修理代は貴方持ちよ」。彼はカラカラ笑った。呆れ返ったという笑いだ。「俺が親切に手伝ってやろうと言ったり、綱を外す順番を教えてやったりしたのに、返礼に『当て逃げ』するというのか!」というわけだろう。
 
 

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私のナビゲイション・ヘッド・クゥーオーター。
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海図、双眼鏡そして未だ使いこなせないVHF。

カヴァレイル・シュル・メール(Cavalaire-sur-Mer)

町すら無いかのようなラ・ラバンドは一夜を過ごしただけで早々に出る。目指すはカヴァレイル。ちなみにシュル・メールという語が付随している地名が仏海岸に時々見かけるが、「海沿いの」くらいの意味だ。そういう場合には「シュル・メール」の付かない同名の町が内陸にある例もあるが、ない例の方が多い。法則は知らない。何せフランス人は法則なんか無視して自分の好きなように何でも決めて事無しとする人々だと、私は独断と偏見を以って自分に言い聞かせている。そうでもしなければ、理解の仕様が無いのだ。同様に、地名にPlage という語が付いている場合は、浜辺があるという事。が、浜辺があるのに Plage が付いていない地名の方が多い事も、そこに法則が有るのか無いのか判然としない点でも、先述に同じ。Plage が付いているのは「ファッショナブルなリゾートの場合」という説明もオンラインの辞書にはあったが、そんな事を書いているのはリスト・アップしてあった中に一つだけで、信憑性は今ひとつだ。そもそも「ファッショナブルな」という基準が明瞭とは言い難い。
 
しかし列挙されていた中で下記に引用した記述は語の意味が時間と空間、さらに状況も加えて変化する例を見るようで興味が惹かれた。
 
The history of plage begins with the Greek word plagios, meaning "sideways" or "oblique," and then moves over to Late Latin as plagia. It arrived on the shores of southern Italy in the form of Italian piaggia and was used of the beaches there. It became plage in French and coasted into the English language in 1888. The word acquired its "bright region of the sun" sense in the mid-20th century. (https://www.merriam-webster.com/dictionary)
 
簡略に言えば、語源のギリシヤ語 plagios では「脇道」だったものが南イタリア海岸に上陸してラテン語になった時には plagia に省略されただけでなく、上陸した場所の「海浜」に意味が変容している。それがフランスに来ると更に語末を端折って plage に変化して、それをイギリス人が受け入れると「太陽に輝く地」という意味も加わった、という事になる。
 
じゃあ、 sur-Mer の方はどうなんだ。そもそも、こっちの方が本題だったではないか。はい、ごもっとも。で、Google しても「on sea」としか出てこない。つまり「sur」は前置詞で「mer」は海を示す名詞というわけで、言語的興味を唆るような側面は無し。そこで本題の「sur-Mer」も飛び越えて、その又本題の町を語る事に戻るとしよう。とは言っても、語るところの実に少ない町だった、等と今更書いたら野次が飛んで来そうだ。
 
Picture港脇の道。
強いて書くなら、マリーナがあって、その前にレストランが並んでいて、背後に町が控えていて… という事でしかない。私にとってのこの町は、マリーナの前にその朝陸揚げした魚を売る店、というよりは大き目の流し台と幾つかのバケツを並べた場所で、新鮮なイカを2杯安目に買ったのと、いかにも専門店ですといった風の町中の店でバアバア(Baba)を買った所というに尽きる。それにしても、バアバアというのは美味しくなんかないお菓子だ。要は、一口ケーキをラム酒入りのシロップに漬けて瓶詰めにしたものだ。10個入りで10ユーロ(¥1,100)だから安くはない。これにクリームやら果物やらを飾って食べる。
 


実にどうということもない町が続いたが、しかし例えば、背後に控えている町が由緒あるものだったり、特別な側面をもっていたりすると状況は一変する。次に控えているサン・トロペ(St Tropez)、 アンテイーベ(Antibes)はその好例だ。
 
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​サン・トロペ(St Tropez)
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​マリーナは大きくはない。そこに中位の大きさの漁船と個人所有の船が各々の位置を占め、それでいて入り口近くの防波堤の内側は、見物に訪れる大小のボートが無料で舟着けできるようになっていた。感心した。町も大きくはない。人口は6,500。洗練の粋を誇る店が、こじんまりと店舗を構えて並ぶ。ブリジット・バルドーの店があるのは有名。緑と花に縁取られた建物の間にある細い通路まで、丁寧に手が加えてある。昼食時ではあり、レストランもブラゼリーもカフェも人々で賑わう。市場もあった。小さい。しかし飛び切りの質。広場も人で賑わっていた。その一画に、日本人が寿司屋を出していた。店の大きさは1間四方。手頃な服飾店もある。€40(¥4,500)でタンク・トップを2枚買った。
 
この町の歴史は、ローマが台頭する紀元前500年辺りに始まった様だが、皇帝ネロ(AD54-68)の時代に舞台を置いた伝説が、町の起こりとして語られる。が、現在残るスフレン(Suffren)塔及びマナ・ハウスは、百年程この地を占領していたサラセン人が追われた11世紀前後に建ったものだ。下って15世紀、富裕なジェノア人ガレッチオ(Garezzio)が領主のルネ侯爵の招きに応じて軍力・資力を携え、且つジェノア人60家族を引き連れて移り住んで町造りに協力し、自治共和国として200年程を経る。現在町に残る外壁は、この時代にジェノア人が築いたものだ。したがって今ある町の古式豊かな風情、つまり背後の町の膳立ては、サン・トロペではこの頃迄に出来上がっていたわけだ。地中海の中央に面し、太陽の光に恵まれ、滋味豊かな土地で、ひっそりと息づく小さな漁師町を、誰が愛さないわけがあろう。そこで20世紀初頭から、次々に芸術家が訪れることになる。
 
19世紀末、パリは世界の都として各国から芸術家を集めていたが、そこに折しも印象派の動きが始まる。人々は挙って戸外に出、自然の光の中で絵を描いた。当然の様に彼らは光を求めて南に下り、やがて地中海に辿り着く。コクトー、マチス、ピカソ、デユフィ等が次々に訪れ、南仏の町や村で作品を描き、言わば膳に料理を盛って、さらにはココ・シャネル、バルドー等が現れ、花を添えて膳は出来上がる。
 
昼食時の2時間程を歩き回って満足し、私は先に進むことにしよう。ここに停泊は出来ない、高いのだ。しかし将来、陸路で来て数日をここに滞在して、画廊を回ったり、散歩をしたりするのは楽しいだろう。
 
余談だが、サン・トロペに向かっていた時、50メートル位ありそうなボートが過ぎっていった。波を蹴立てているわけではないが、しかし余波がヒタヒタと私の方に寄せてくる。1m位の高さがありそうだ。長い尾を曳いてその波は、しかしなだらかになって消えていく様子が無い。ヒヤリッ!慌ててボートを波と60度の位置に定める。そうして次の瞬間、波越え。大揺れ。... でも無事に超えた。横倒しにならないで済んだ。私の驚愕の度合いを、キャビンの内部が語っていた。


 

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前方にサン・トロペの町が見えてきた。
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サン・トロペのマリーナ。
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ブリジッド•バルドーの店。
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アルマニのショウ・ウィンドウ。
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揺れをくった後のキャビン内部。

サン・ラファエル(St Raphael)


この町で特筆すべきは、一般にはエジプト遠征から帰還したナポレオンが上陸した地であることと、19世紀中葉に隣の町と共同で南仏のリゾート造りをしたことだろうが、私にとっては、とんでもない所だった。だいたいナポレオンが上陸したといっても、それだけのことだし、リゾート造りの結果も、いわゆるフレンチ・リビエラの他の港に比べれば取り柄も個性も無い。
 
ここには、マリーナが二つ隣り合わせになっていた。 近い方の入り口に入ると、都合の良いことにマリーナの職員が岸壁に立っていた。どちらに入れば良いかを尋ねると、「貴女の舟は小さいから隣のマリーナに入ることになりますよ」 と教えてくれた。お礼を言って隣に移った。
 
空いているバースはアチコチにあった。良さそうな所を選んで舟着けし、 書類一式をファイルしたバインダーを持って出た。マリーナは近年に新装したらしく、ウエット・ルーム(シャワーとトイレが設備されている)もモダンに作ってあった。キャピテナリーも新しかった。中に入ると女所帯だった。数人居たうちの一人が、笑みを以って迎えてくれて、
 
                  「お掛けください。で、ボートの長さは?」
                  「9メートル」
                  「幅は?」
                  「2.5メートル」
                  「浸水部分は?」
                  (… ?)「0.9 メートル。エンジンを水平にすれば0.4 」
                  「高さは?」
                  (?… 高さなんか必要ない。橋の下を通るわけでも、屋根の下に入るわけでもない。       
      上には空があるだけ)「2.7 メートル。バイミニ(コクピットに掛けてある日除け)を下せば2.1」
                  「重量は?」
                  「そんな事迄必要なんですか。バースを決めるだけなら、長さが分かれば十分でしょう。幅だって必要な   
     い。幅は長さに準じているのだから」
                  「いえいえ、全てを知った上で決めるんですよ」
                  「空っぽで、乾いた状態で3トン」
                  「何人乗り?」
                  「4人」(はは〜ん。この人はボートの事は何も知らずに最近この職に就いたのだな。ヤレヤレ)
                  「じゃあ、Bの56に入ってください。ここです」と見取り図の一点を指した。
                  「それは隣のマリーナじゃないですか。私は先刻こちらのマリーナに来るように言われて来たんですよ。又
     戻るんですか」
                  「ええ、そうしてください」
                  「こちらは小さいボート用のマリーナでしょう。実際、私が今ボートを留めて来た周辺には同じような大きさ
     のボートばかりでしたよ。あのバースが空いていないんで すか」
                  「空いていますが、貴女のボートは一寸大きいのです」
                  「何ミリ?」
                  「…… 」
                  「貴女はボートを解いて動かして又留めて、という手間を考慮しないんですか」。
     他の女性たちが聞き耳を立て始めていた。
                  「でも、決まりなんです」。
                  「オーケー」。
 
マリーナでは、キャピタン(英語ではハーバー・マスター)の一言は従うべきとされている。船上でキャプテンの決定が絶対なのと同じ。
 
カピテナリーを出てボートに戻った。「動く?」と自らに問う。が、返事が無い。だろうなあ。ボートの「ボ」の字も知らない人に、こずき回されてはかなわない。ボートを出して又入れる、それは出港と舟着けを意味する神経を使う作業なのだ。それを無意味に繰り返せと言われたのだ。もう直ぐ日が沈む。止めだ。ヤラナイ。やるもんか!
 
これまでの生涯で、私は無意味に規則を破った事は無い。が、この時は、心の芯が「否」と言って動かなかった。腹を決めて夕べの支度に取り掛かっていると、パトロールが回ってきた。若い男性だ。ゴム製のタグ・ボートを自在に扱ってマリーナ中を点検して回っている。停泊しているボートの綱はしっかり繋がれているか、難儀しているボートは無いか、はたまたモグリは居ないか。彼は私に気づいて一瞬静止したが、次の瞬間、「ここに泊まるんですか」と聞いて来た。「ええ。いけませんか」と私。「いえ、いいですよ」。彼の表情は明らかに事情を聞いていたことを語っていた。動かなくても「いい」と言ったところを見ると、テキは反省したのかな?でも、これが船上で百年前なら、マストに宙吊りになっていたかもしれない。
 

​

​カンヌ(Cannes)

映画祭に使われる建物はマリーナの東隣りにあった。映画関係なのかどうかは知らないが、何かが催されているらしく、名札をつけた関係者で埋まっていた。マリーナには豪華船ばかりか、年代物の美しいガレー船も繋がれていた。しかし、私はここを財政上の理由で、それと認めただけで通り過ぎ、後に陸路で訪れたので「夏 その3」で触れることにしよう。
 
 

アンテイーブ(Antibes)

Pictureアンチベ港
​アンテイーブのマリーナは本格的だ。規模は付属の小さなマリーナ二つも合わせて、最大165m の長さ迄のボートを含めて2,800隻を収容する。値段は高い。カンヌ、ニース、モナコのような有名なマリーナを除けば相場は一晩€20位なのだが、ここは€40。近くに巨大な船(個人所有)が停泊していた。通称「百万長者の埠頭」ということになっているが、「億万長者の埠頭」に改めるべきだという声がある。カピテナリーも堂々たる構えで、英語は当然、「イタリア語、スペイン語でも応対致します」と張り紙に書いてあった。係員も同様、ヨーロッパ数カ国人から成っていた。そして、全ての設備が備わっている、ことになっていた。しかし他の設備は知らないが、事インターネットに関しては思わしくない。無料ではない上に、カピテナリーの事務所のカウンター近くでない限り、コネクションが弱くて使い物にならない。係員曰く、「町のカフェに行けば無料だよ」。

​アンテイーブ港には、中世に十字軍が集合・集隻して聖地エルサレムに赴いたという歴史がある。下って18世紀にはルイ16世の海軍の基地だった。港としても、さらに歴史的にも堂々たる存在だが、私が高い停泊料を払って1泊した理由は、ここにピカソの美術館があるからだった。美術館は、城壁門を沿って直ぐ左手に、海にそそり立つようにして立っていた。

ピカソはここにやって来て、生活の周辺にある一つ一つを描いた。とりわけ海胆(うに)を好んで繰り返し描いた。棘に覆われた黒いイガを割ると、中から鮮やかな橙色のとろけるように柔らかい身が現れた。その対照、その不可測。そういう自然の在り方に、割る度に改めて驚かされただろう事が、想像された。私がこの世で最後に口に含みたいのも、海胆だ。あの海の香りをふんだんに含んだ、橙色の柔らかい身...。他には様々な貝、漁の道具、殆どが静物画だった。全体に淡い泥色から灰色に近い色合いで、地味な色調だった。しかし対象の形はくっきりと決断的に描いてあっtた。ピカソはこの地で伴侶に恵まれ、最も幸せな時を暮らしたのだそうだ。ピカソのエッチングに鳩や女を描いたものがある。この時代のものだ。私が好きな作品だ。

海に面したテラスには、彫刻が何体か据えられていた。海の香りに取り巻かれて、彼がどんな風に暮らしたかを想像してみた。-- 早朝、スペインのよりは濃いフランスのコーヒーを飲みながら、前日の午後拾い集めて来た貝やら網やら漁具やらを並べて、それを脳裏の画布に描いてみ、色調が単調であり過ぎはしないかと考えたかもしれない。海胆の身の橙色を添えたらポイントが出来るが、しかし海胆を割るのは食卓に於いてだ。そんなものを添えたら、如何にも絵のために取り揃えたという感じになって自然さを損なう… それはすまい。… その代わり、対象すべてを明確な線で描いて、一つ一つの存在性を明示しよう… 等々 --
 
ピカソの美術館から出て海沿いの道を辿り、それが切れる辺りで町の中に入っていくと、中世の石造りの旧市街が広がる。そのド真ん中に常設市場が毎日開く。イタリアが近いだけに、イタリア産のオリーブやチーズも多い。いずれも高級品。オリーブを250gずつ2種類買って€16(¥1,800)。普通の2倍から3倍の値段。野菜は安い。しかし果物の高いのには驚いた。確かに美しい果物だった。一つ一つが綺麗に飾られていた。友人がイギリスからやって来るので、多めに色々の果物を取り合わせて€10位(¥1,131)だろうと思っていると、€54(¥6,112)だと言われた。億万長者のお抱えシェフもここに買い物に来るのだろう。もちろん買わなかった。
 
新市街の方に行くと、事情は少し違っていた。土産物屋は姿を消し、普通の暮らしがあるようだった。モノポリーという名のチェーン・スーパーがあって、普通の品物が庶民向けの値段で買えた。金持ちに金を落とさせる場所と、庶民が暮らす場所は分けてあるという事らしい。スイスもそうだった。これは賢明なのかもしれない。人口の90パーセントが中産階級だと思っている日本の方が特殊なのだ。
 
マリーナの方も、豪華船もあるが、ボート好きの使い込んだボートもあった。ただ、大きさが違うという実際的な理由で、停泊する場所が分けられていた。これはお互いに気が楽というものだ。しかし、カンヌは通り過ごしたが、今後はニース、モナコと続き、この二港も遣り過ごしたとしても、その先にはイタリアがある。イタリアには、それこそ金持ちが集まる。「高いゾーッ」と脅されている。

<参考資料> 
https://www.seeantibes.com/marinas/guide
https://en.wikipedia.org/wiki/Saint-Raphaël,_Var
https://en.wikipedia.org/wiki/Saint-Tropez
https://nippon.fr/ja/archives/309
 ​<掲載写真>
https://www.riviera-ports.com/en/ports/port-d-antibes-vauban
<換金レート>€1=¥113.19(2016.8 現在)
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ピカソ美術館のテラス。
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アンテイーブの旧市街に立つ市
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